何が起こってもおかしくない。立ちこめる霧の中、小さな船で激流を下るような昨今だ。コロナ、紛争、異常気象、世界経済も不安定さを増す。農業では以前から競争力、持続力の確保を目指して各地で様々な取り組みが行われてきたが、ここ数年の情勢はリスクがそれを加速させる。小さな改革の積み重ねだけで次々にやってく来る荒波を乗り越えることができるのかと、不安が背中を押す。
今、農業がその形を変えようとしている。新しい世界の新しい方法を得るため、様々な知識、技術を取り入れ、農業のトランスフォーメーションが進行中だ。大規模農業であり、環境配慮型であり、スマート農業の実践も行う生産現場から、ニューノーマルに対応できるレジリエントな未来の農業の手がかりを探る。(記事中の状況・数値は2022年4月現在)
つくるだけの農業では続かない
完全無農薬の有機栽培や特別栽培米など環境に配慮した付加価値米を生産
兵庫県丹波篠山市は同県中東部にあり、四方を山々に囲まれた篠山盆地に位置する。地形が生み出す昼夜の大きな寒暖差や秋から冬にかけて発生する“丹波霧”が、地域に特有の気候風土を醸し、そこから生み出される米やその他の農産物は高い評価を受けている。また、全国ブランドとして高値で取引されている丹波篠山黒大豆や黒枝豆をはじめ、丹波篠山山の芋、丹波栗、丹波茶など多くの特産物が産出されている。今回、同市で土地利用型の大規模農業を展開しながら、有機農業など環境保全型農業に取り組み、またスマート農機も積極的に取り入れているアグリヘルシーファームを訪ね、代表取締役の原智宏さん(43歳)に未来に繋がる新しい農業について話を聞いた。
同ファームの栽培面積は水稲が57ha、黒大豆と早生枝豆が23ha、その他野菜が50a。水稲はコシヒカリをメインに栽培し、その他、実需者の希望に合わせてミルキークィーンやキヌヒカリ、加工用の日本晴などを時々の需要に合わせて栽培している。また、通常の慣行栽培以外に完全無農薬の有機栽培や、除草剤のみを1回使用した兵庫県認証の“ひょうご安心ブランド”認定米、慣行基準に比べて農薬を7割、化学肥料を5割削減した特別栽培米に取り組み、環境に配慮した付加価値の高い米づくりを行っている。労働力は原さんを含めた3名の役員と6名の社員、非常勤で3名が働く。
規模を拡大し直接取引を増やしお客様第一主義を実践
元々は父親が家族経営の専業で農業を営んでいたが、原さんが大学を卒業した2001年に法人化し、同ファームに就職、農業の道に入った。まずは規模拡大に取り組み始めたが、2006年に父親の後を継ぎ代表へ。そこで考えたのが、「農業だからとこれまで通りの方法ではなく、会社組織として農業を営むにはどうすれば良いか」ということ。事業を継続するためには何をするべきなのか、利益を上げ成長するためには何をすれば良いのか。「これからの農業は、ただつくるこだけではだめだ」との強い想いがあった。有機栽培に関しては父親が長年実践していたこともあって、ノウハウがあり、それを取り入れ、収益性の高い栽培品目へのシフトを図り、また労働環境の整備を進めた。その中「飲食店を経営している知人から、店舗で使っている米の価格と品質の相談を受けました」。米を見せてもらうとそれは決して質が良いとは言えない米だった。「同じ金額であれば、私達の方がもっと良い米を提供できる。そこですぐに直接取引を始め、大変喜んでもらえました」。この取引を契機に飲食店との直接取引が広がっていった。直接販売のため価格競争力を持つこともできた。また減農薬栽培、無農薬有機栽培を取り入れていたことから、食にこだわりのある飲食店の要望にも応えることができた。
また、午前中に注文を受ければ翌日の午前中までに届けるサービスや飲食店が提供する料理、方法に合わせて、例えばテイクアウトなら冷めた状態でも美味しく食べることができるものなど、品種の提案なども行った。自分たちの米を如何に選択して貰うか。お客様第一主義を実践していった。
現在、生産された米は、飲食店やECサイトによる個人への販売が主となり、その他、卸売りや道の駅などにも出荷している。取引先には病院や老人ホームといった取引量の安定した施設や、店舗数を拡大している飲食店などが含まれている。「優良な販売先を見つけることが、規模拡大に繋がります」。現在約80haの経営面積を5年後には120haまで拡大することが目標になっている。
このような取り組みで、経営規模を大きくしてきたが、それに伴って営農管理の負担や、作業負荷、生産コストが増加していった。また頻発する近年の異常気象も安定生産の大きな影となっている。利益を生み出し成長するためには、家族経営から法人経営へと変化したように、新たな変化が必要になっている。その一つとしてスマート農業に取り組んでいる。「ここは中山間地ですので、ドローンを活用したスマート農業が適しているのでは無いかと思っていました」。2019年にソフトウエアの開発・販売を行う㈱オプティムと提携し、ドローンなどによるスマート農業ソリューションの提供を受け、ドローンを使った水稲の試験栽培を始めた。
スマート農機で付加価値創出
ドローンを導入し、農薬使用量を大幅削減。施肥にもピンポイントで活用
アグリヘルシーファームでは環境に配慮した米づくりを進めており、農薬使用量の削減は常に大きな課題だ。減農薬や慣行栽培の圃場では最低限の防除作業行っているが、どうしても圃場全面が対象となり、必要の無いところまで散布している状態だった。そこで最初に取り組んだのがドローンによる防除。圃場を空撮して、AIを使って画像解析を行い、病害虫被害を受けている箇所だけを抽出して、ドローンによってピンポイントの農薬散布を行う。その効果の検証では「病害虫の被害も収量への影響もなく、満足いくものでした」。農薬使用量を大幅に減らすことができ、環境配慮と共に、コスト削減となり、また夏場の過酷な防除作業の負担を軽減するものとなった。「さらに翌年からは施肥でもドローンを取り入れピンポイントで行いました」。画像解析と追肥アルゴリズムを活用し、ドローンによって必要な箇所にのみ追肥を行う。全面散布すると、生育の良いところではタンパク質含量が上がってしまい食味を落とすことにもなるが、それを回避し、品質を均一に保つことができる。
さらに昨年からは、“適期作業支援アプリ”を試験的に導入している。米の品種や移植日などの情報を登録し、品種特徴のデータと気象庁からの気象データを使って米の生育状況を予測し、適期農作業の推奨情報を発信する。「今までは葉色診断や幼穂長の確認で出穂期を予想し、品種に応じた作業スケジュールを組んでいました。しかし予想がずれることもあり課題でした。今はアプリを利用することで、正確な作業体系を組むことができています」。
生産者とソフトウエア開発会社で付加価値をシェアするビジネスモデル
実証段階だがドローンによる湛水直播にも挑戦している。代かきした圃場に無コーティングの籾をドローンから打ち込む。「昨年から始め、今年も1haで引き続き実証を行う予定です」。現時点では、別途に除草剤や肥料散布が必要など、課題も多い。しかし、技術が確立されれば、生産コストの大きな削減と軽労化が期待できる。「すごいことができるようになってきたと思いました」。うまくいけば春の農作業の風景を変える新しい農業の形となるかもしれない。
「オプティムとはレベニューシェアの契約で、これらのスマート農業技術を提供してもらっています」。事業を共同で行い、リスクを共有しながら、相互の協力で生み出した利益をあらかじめ決めておいた配分率で分け合う連携の形で、オプティムは自社の技術を導入して生産された米を通常の米販売価格で買い取り、第三者機関で残留農薬の不検出証明を得て、『スマートテクノロジーで農薬を極力使用せず、環境にも⽣産者にも消費者にも優しい“スマート米”』として、付加価値を付けて販売する。この付加価値を生産者とオプティムでシェアするビジネスモデルだ。生産者はスマート農機の導入費用が大きな負担とならず、農業の新しい形としてメリットは大きい。
「ドローンを使うと農作業が楽になり、農薬の使用量も削減できます。そこが大きなポイントです。令和5年度には自前のドローンを導入して、自社独自の活用も進めていきます」。また、「オプティムのドローンによるセンシングだけでなく、新たに人工衛星からのセンシングデータも活用していく予定です」。さらなるスマート化が原さんの農業をより強くしていくことになりそうだ。
従来の枠組みを越える技術と意識
“美味しさ”で勝負するため土壌診断、堆肥による土づくりにこだわる
スマート農業は中山間地でも様々なメリットをもたらしているが、「農業インフラの整った平地で活用した方が大きな成果に結びつきます。私たちの地域では同じスマート農業でも平地の大規模農家にコストでは勝てません」。そこでポイントになるのが如何に付加価値を付けるかということだ。コストが掛かったとしても、特色のある商品価値で有利販売が行えれば、利益を残していくことができる。同ファームでは有機栽培をはじめとした環境配慮型農業の取り組みが大きな役割を果たすことになる。
「私たちが勝負する場所は“収量”より“美味しさ”です。そのために土壌診断をしっかりと行い、堆肥による土づくりにこだわっています。また水田除草機など、有機農業などの作業負担を軽減できる良い機械が出てきました」。ドローンなどの活用も含め、高付加価値米の生産を行う栽培技術を高度化して、新たな時代の農業に挑む。
経験と勘と手作業がコストを押し上げ、多くの時間、労力を必要としていたが、データや新しい機械力がその状況を変えていく。また“ただつくるだけではだめだ”という意識が生産者の姿を更新していく。「消費者を常に意識した丁寧な米づくりに取り組むことが大切だと考えています」。その姿勢が大地から食卓までを仕事にし、農業の可能性を広げることになる。
柔軟な考えが農業の形を変えていく
「今後人口が減少し、通常の米市場は縮小していくでのしょうが、安全性やこだわった農産物を求める人々へのアプローチを行っていきます」。農林水産省が策定した『みどりの食料システム戦略』もあり今後の伸びが期待できる。また海外市場も有望だ。コロナ禍でも農産物の輸出は伸びているようで、同ファームが海外でも人気のある神戸ビーフの産地県であることから、「神戸ビーフに合う米として、その牛の堆肥で土づくりをした有機栽培米をつくり、そのストーリー性も付加価値とし、畜産と連携した輸出を考えています」。柔軟な考えが農業の形を変えていく。
「特産物は農産物より高い価格で売れます。だから特産なんだと聞きました。農産物でなくて特産物をつくりたいと思っています」。農産物は食料として命を支える栄養となるが、特産物は暮らしを豊かにする美味しさや現地で手に入れたのなら想い出となり、あるいは興味深い物語も伴う。農業が提供する価値は実に多様で、それを意識することで、またそれを具現化する技術を持つことで新しい形が生まれる。時代を越える強さの手がかりがそこにある。