“そば”の力で地域活性化 幻の在来種そばを復活させて日本一のそばを目指す 取材先:長野県・伊那市 信州そば発祥の地 伊那そば振興会

アグリソリューション

  “コロナが収束したらどこに行きたいですか?”外国人を対象にしたある調査では日本が第1位。『清潔だから』、『治安が良いから』と共に、『食事の美味しさ』を推す声が目立つ。食は体験であり、人を惹きつける強い力がある。日本人の国内旅行も同じで、景勝地や文化遺産も良いけれど、その土地ならではの味は、喜びをもたらすと共に食体験は思い出となって記憶に刻まれ、後々まで価値を提供する。景勝地は一度見れば満足することも多いけれど、美味しいものはまた食べたくなってしまうもの。そんな特産物が各地にある

  地域性を前面に出した“そば”もその一つ。土地ならではの味があり、食べ方があり、生活に結びついて食文化にもなっている。その地の風土、伝統を織り込み、その一盛りが地域を物語る。そばの力に焦点を当て、中山間地での地域活性化を図る取り組みを追う。

高遠に高遠そばを里帰りさせる

通年を通して人を呼びたい

 「そば自慢は里の恥」。そんな言葉を教えてくれたのが今回お話を聞いた飯島進さん(68歳)と市ノ羽(いちのは)浩和さん(52歳)。飯島さんは“信州そば発祥の地 伊那そば振興会”の会長であり、この春までは伊那市の市議会で議長を務めていた。「私は長い間そばによる地域振興に携わってきて、もう25年にもなります」。意欲的な取り組みを長年に亘って続けてきた。市ノ羽さんは花の生産をメインにしながら、一方でそばの生産にも力を入れ、地域の担い手を務める。

 その昔、そばは山の村が命を繋ぐ食べ物で、冒頭の言葉はお米が食べられなかったことの裏返しだったそうだが、今はそばの役割が変わってきている。中山間地のこの地で、地域活性化の重要な要の一つを担う。そばは山の宝になる。

 長野県伊那市高遠(たかとお)町は、天下第一の桜と呼ばれる高遠城址公園の「タカトオコヒガンザクラ」が有名で、春、満開の頃、約1500本の桜が丘全体をピンクに染め、コロナの前は40万人もの観光客が訪れていた。「お花見の時期は多くの人たちで賑わっていたのですが、なかなか通年を通した観光に結びついていかない現状があって、何とかして春以外でも人に訪れてもらえるような目玉をつくりたいと考えていました」と飯島さん。

飯島さん(左)と市ノ羽さん
高遠城趾公公園の「タカトオコヒガンザクラ」

会津で高遠そばを発見

そんな想いを抱いていた1997年、姉妹都市である会津若松市に高遠町から視察団が訪れたことがあり、その地で自分たちの町の名前がついた“高遠そば”を発見した。それが始まり。

 辛み大根と焼き味噌、葱を入れたつゆで食べる独特のそばで、元々は高遠の地で食べられていたものだった。それは江戸時代の初期、徳川秀忠の四男(庶子)で高遠藩の藩主であった保科正之(ほしなまさゆき)が最上藩、会津藩へと加増されながら転封される中で、信濃から彼の地へと伝わり、今でも名物となって食べられていたものだった。しかし伝播の大元にあった高遠では、“辛つゆ”の名で家庭の中ではそばを打って食べる習慣がまだ残っていたが、それを商売として行う所がなかった。

 「当時、高遠に手打ちのそばを出せる店が1軒ぐらいしかなく、それでは会津に行って勉強し、高遠そばを里帰りさせようと動き始めました」。そばで地域を盛り上げようとする動きが始まった。

 一年を通して人を呼ぶ仕掛けでもあったが、農業が大きな転換を迎える時期でもあり、稲作だけに頼らない農業が模索される中で、減反対策の転作奨励作物として水田でそば生産の普及を図ろうという行政やJAの想いもあって、農業の生産現場でもそばに力が入れられていった。

高遠の特色を出してPR

 また“会津の高遠そば”を、“高遠の高遠そば”とするために、地元産のそば粉100%、手作り味噌に、地域で受け継がれてきた辛み大根、三峰川(みぶがわ)流域でつくられる葱を使って地域の特性を出していった。

 またプロモーション活動では秋に新そば祭りを開催し、東京の伊勢丹で実演販売を行い、チェコ共和国のジャパンウィークにも参加するなどして、知名度を高めていった。

 その結果、「手打ちのそばを食べられる店が17店舗まで増えてきています。専門でやるそば店が12店舗、それ以外に食堂や旅館やホテルなどで提供しています」。今はそのそば店の外に人が並び、そばを目的に地域の外からも人が来る。

高遠城址公園に向かう通りには
入野谷在来そばを出す店も並ぶ
入野谷在来そば

大きな可能性を持つ在来種を復活させる

耕作放棄地を活用してそば栽培

そばが地域の活性化に大きな力となっているが、地域農業に対してはどのような貢献になっているのだろうか。全国各地には奨励品種があり、長野県では信濃1号の栽培が盛んで、作付面積・収穫量共に全国有数。その中でも伊那市は県内でもトップクラスの生産となっている。水田をフル活用する指針の中で奨励され、それに関連して補助金があり、また寒暖差が大きいほど、味も香りも良くなることから、この辺りのような中山間地での栽培にも向いている。水田の高度利用を図る上で比較的優位な選択肢の一つになっている。

 また高齢化が進み、地域農業では耕作放棄地になる所も目立ってきており、その活用としても栽培されている。ただ、そばをメインに栽培している人は少なく、その分力が入っていない部分も否めず、収量・品質の向上に対する動きは鈍い。

そばを栽培する山間部の圃場

幻の在来種を発見し、復活へ

 その中でもう一段取り組みを進める動きが起こった。「昔のそばはもっと美味しかったという声が以前からありました。その頃のそばは小粒で味が良かったと」。“今より美味しいそばがあった”。その事実に背中を押され、今の信濃1号とは別に、その頃栽培されていた在来種への興味が高まっていった。そして2014年、長野県野菜花卉試験場に保管されていた在来種の種を発見する。より地域の味が出せるそばとの出会いだった。

 “高遠在来”と記されている玄(げん)そばはわずか20g。そこから復活のためのプロジェクトが始まった。まず1年目、試験場で20gを播種し、その内発芽したのはたった6粒。そこからなんとか42粒を収穫することができた。2年目も試験場で栽培を行って種子を増やしてもらい、その間、地域での栽培場所を探し、保管されていた種子が採取された旧長谷村の浦地区にその場所を見つけた。「平家の隠里で標高は1100m、周囲に信濃1号をつくっている圃場もなく、交雑の心配がない場所です。そこに200㎡の圃場を確保しました」。またその年に“信州そば発祥の地 伊那そば振興会”も発足し、そばの生産者、加工や販売を行うそば店、JA、商工会議所の関係者など約50名が集まり、そばによる地域振興のために結束した。

抜きん出た味と香りの入野谷在来

 3年目にはいよいよ地域での栽培を開始。在来種は栽培地である浦地区や高遠を含む在所である入野谷(いりのや)郷から“入野谷在来”と名付けられ、100gからスタート。在来種のそばに取り組むための“入野谷そば振興会”も設立し、初の収穫では18㎏を得ることができた。「そばは粒が小さいほど味が良くて香りも良い」ことから、その内4.2㎜以下のもの7㎏を選別して次年度の播種用とし、残りの4.2㎜以上のものを試食した。すると“水を回したときに立ち昇る香りが、普通のそばの10倍”、“味も香りも感動”と、関係者が喜びの声を上げ、先人の言葉が実証された。

 すでに在来種の栽培では県内の戸隠や川上が有名で、江戸時代から名産地とされ在来種を守り続けていたが、評価はそれに引けを取らないというものだった。信州大学の農学部で成分分析をしてもらったところ、「味の成分であるタンパク質と、香りの成分である脂質が、他の品種に比べて飛び抜けて高い数値になっていました」。

 戦後の食糧増産で、倒れにくく多くの収量が収穫できる品種が各地で採用され、長野県では信濃1号が広く普及し、在来種が忘れられていったが、地域振興の大きな期待を背負って復活した。

 その後、原種を保護する圃場に加えて、種取り用の圃場、出荷用の圃場を設定し、3段階で原種を守りながら栽培を続け、天候で思うような収穫ができない時もあったが、収穫量を徐々に増やし、ついに2019年には503㎏の収穫となって、初の出荷販売を開始。昨年は425aの作付面積で3172.5㎏を収穫し、反収は74.6㎏となった。

 またこの年、これらの取り組みを含め、伊那そば振興会全体として、第33回全国そば優良生産者表彰において、農林水産大臣賞を受賞した。「連作障害を避けるための取り組みやプレミアム栽培などが評価されました」。在来品種の特性を活かした栽培と高品質化を目指す取り組みなどを行い、信州大学やJAなど、地域の様々な知恵を結集し、作付面積・収量ともに好成績を収めている点が評価された。

入野谷在来の実 小粒ほど味も香りも良い

地域団体商標を取得し、守りから攻めへ    

 ただ、当初の計画は予定通りというわけではない。出荷開始の翌年には新型コロナウイルスによるパンデミックが発生し、観光客の足はぴたりと止まってしまった。「まったくの計算外でした。そこで少し躓(つまづ)いている部分はありますが、言ってもしかたがないですからね」。大きな流れの中で、機を窺う。生産体制を整えながら、「需要が伸びれば生産量を増やしていけます」。その中で、独自性を守るための取り組みも行っている。

 「種が他の産地に流出してしまうことを心配しています。ですから現在(編集時)、出荷先のそば店を絞って十分信頼できるお店にだけ出荷しています。県内では、余所でも在来種を生産していますが、種が流出し被害を受けた所があります。そうならないように対策しています」。現在、地域団体商標を出願し、地理的表示(GI登録)も視野に入れている。「商標が取れれば、宣伝を加速させ、大々的に進め、生産においても信濃1号から入野谷在来へのシフトも推進したいと思っています」。守りから攻めへの今がちょうど端境期のようだ。

 認知度が高まり特産として定着すれば、余所の名産がそうであるように、長い年月に亘って、地域を潤す宝となることが期待できる。そのためには、地域全体が一緒になって進むことが求められている。一部だけが利益を得る、または一部が負担を負うという形であってはならない。原種を保存する浦地区での圃場管理は生産者だけでなく、そば店も加わり「草を取ったり、堆肥を撒いたり、みんなで行っています」。また、体験プログラムとして一般の方に入野谷在来の種まきや収穫を経験してもらいたいという想いもあり、消費者も含めた輪ができれば、大きな力になりそうだ。

浦地区の原種を守る圃場
地域全体で在来種に取り組む(草刈り作業)

高い付加価値で生産者のメリットに

花がメインだったがそばを加えて二本柱に

 この入野谷在来の出荷用の生産に取り組んでいる一人が市ノ羽さんだ。経営の主体となっているのは花卉の生産でアルストロメリアを中心に、ハウス15棟を展開している。化学肥料を使わず、木の皮などを使った植物系の堆肥を使っているのが一つの特徴で、標高920mの高地を活かし、大きな寒暖差、低湿度などで、発色の良い高品質なアルストロメリアを栽培している。

 それと共に力を入れているのがそばの生産だ。年々面積が増えているが現在は7~8haの規模で、入野谷在来を3ha手がけている。そばを始めたきっかけは先代の頃、「周囲で耕作放棄地が増え、雑草が生い茂って道が通れなくなったので、それを解消するために耕作放棄地を綺麗にして、軽い気持ちでそばを植えました」。

 それから段々と力が入ってきて、こちらにも花卉栽培と同様に植物系の有機肥料を使うようになった。また圃場では米をつくらずそば専門にして、排水対策も良好なこともあって、高い品質と反収を実現している。今は花卉栽培と合わせて経営の2本柱となり、「私が住む地区の耕作放棄地は、ほぼ解消しました。今はそこでそばをつくっています」。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 22-6-15.jpg
市ノ羽さんが生産を行う地域 ハウスで花が栽培され、付近に耕作放棄地は見当たらない
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 22-6a-11-1.jpg
アルストロメリア

条件不利地の方が美味しいそばに

 条件不利地が耕作放棄地になりやすく、標高がある所、傾斜がある所などが多いが、そばの場合、標高があった方が「寒暖差が大きく、朝霧が発生し、霧下蕎麦と言われる美味しいそばができます」。また傾斜は水はけを良くし、良好な生育に繋がる。

 7月末に播種を行い、60日ほどで生育し、9月末から収穫を行う。収穫には汎用コンバインを使い、乾燥はできるだけ低温を心掛けている。「そばは香りが大切です。熱を加えることが香りを落とすことに繋がります。なるべく熱を加えない乾燥方法を研究しています」。原種を栽培している浦地区の圃場では手刈りの天日干しを行っている。

 味・香りについて魅力的な品種特性を持ち、希少性もある入野谷在来は一般的な信濃1号の5~7倍の価格で、“高遠そば組合”が引き取る仕組みを構築している。生産者にとってメリットは大きく、需要に応じて生産者が増え、生産量が伸びていけば、地域農業の持続に大きな力だ。

高品質なものを安定的に生産し日本一のそばに

 生産面での課題は安定生産と安定品質。「高品質なものを安定的に生産することは、そばではなかなか難しいことです」。安定を阻んでいるのは鳥獣害と天候の不安定。特に近年の天候は極端な雨や暑さが状態化している。「雨が多いとだめですね。また暑すぎると虫が飛ばなくてこれもだめです」。そばは他家受粉の植物で実をつけるためには虫たちが必要だ。天候の影響は大きい。自然の脅威に対して、個々で立ち向かえば翻弄されることにもなるが、生産者が増えていけば、全体の中で、リスクが分散できるのではないだろうか。

 飯島さんの夢は「入野谷在来を日本一のそばにしたい」ということ。このそばの実力からすれば不可能ではないと想いは強い。また家庭でそばを打って食べる習慣が、地域内でもっと広がればと考えている。市ノ羽さんの夢も日本一で、それと共に「有機栽培のそばの良さを伝えて、この生産方法を伝えていきたい」ということ。地域の宝は大きな飛躍が期待されている。  この地にあったそばは、地域の風土、伝統の結晶であり、復活の物語も持っている。そこには人を呼ぶ大きな力があると感じた。人は未知なるものを求めて旅をする。それを満たすものがそこにあった。美味しいものは人を惹きつける。そこでしか味わえないものの価値は大きい。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 22-6a-6-2.jpg
高遠城趾公園からの眺め そばが地域活性化に貢献する
アグリバッファ

アグリバッファ

農業の大きな可能性を感じているあなたに、 アグリソリューションとアグリマシンをお届けする 情報共有ベースです。

関連記事

特集記事

アグリバッファ

アグリバッファ

農業の大きな可能性を感じているあなたに、 アグリソリューションとアグリマシンをお届けする 情報共有ベースです。

ランキング

  1. 1

    施設園芸のニューノーマル モイスカルチャーで気候変動に負けない! 取材先:三重県多気町 ㈱ポモナファーム

  2. 2

    汗かく野菜産地で農業を学ぶ「牛窓甘藍(かんらん)で産地を元気にする」 取材先:岡山県瀬戸内市 JA岡山牛窓キャベツ部会

  3. 3

    一人じゃ勝てない!担い手間連携で、これからの農業をつくる 取材先:新潟県 津南町 株式会社 麓(ろく)

ピックアップ

  1. 会社員からスイートピーの生産者に! 経験や勘をデータ化し農業持続の力に 取材先:岡山県倉敷市 木下良一さん

  2. 人手不足に負けない!見える化とスマート化でチーム力を向上させ、水稲、麦、野菜の大規模農業を推進する 取材先:滋賀県彦根市 ㈲フクハラファーム

  3. 6次産業で価値を創造する 土から取り組む商品力で食の感動を届ける 取材先:鳥取県頭町 田中農場

先進事例 地域活性化 オススメ
  1. ロボット草刈機がワークライフバランスの質を高める!1シーズン約40日の時間を掛けていた草刈りが3日で終了 取材先:群馬県甘楽郡甘楽町 井田りんご園 井田 豊明

  2. 国産子実コーンで水田の可能性を広げ、日本の畜産を強くする 取材先:滋賀県長浜市 ㈱TPF

  3. 国産飼料で農業を強く 農業持続に飼料用トウモロコシという選択 取材先:北海道安平町  株式会社スキット

  1. りんごの木を氷で包む「散水氷結法」で遅霜と温暖化に対応 取材先 岩手県二戸市 りんご農家 近藤哲治 二戸農業改良普及センター 小野浩司

  2. 一人じゃ勝てない!担い手間連携で、これからの農業をつくる 取材先:新潟県 津南町 株式会社 麓(ろく)

  3. 若手農家3人で合同会社を設立 他産地と差別化したトマトを直売所で販売する地産地消の取り組み 取材先:岐阜県海津町 スマイルふぁーむ

  1. 30ha超えのイネWCSで水田の高度利用を図り、堆肥還元で野菜作にも注力する地域農業の守り手 取材先:群馬県前橋市 農事組合法人二之宮

  2. Iターン就農者が笑顔になれる野菜づくりと仲間づくりで、楽しい地域をつくり、明日も続く農業に 取材先:京都府福知山市 ㈱八百丹

  3. 規模拡大、付加価値米、直接取引、スマート化を高レベルで実践し、新しい農業をつくる 取材先:兵庫県丹波篠山市㈱アグリヘルシーファーム

TOP