昨年JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、ISS(国際宇宙ステーション)の日本実験棟“きぼう”で、長期宇宙滞在時の食料生産を目指して小さな袋の中でレタスを増殖させる実証実験を実施した。さらに月面に農場を設営して食料を生産する研究も行っているという。過酷な環境下で、如何に食を生産するのか。地上に住む私たちには関係の無い話だろうか。
地球で農業を続けること。それが私たちの今のところの生存条件だが、気候変動による生産環境の不安定化が大きな脅威となっている。そこで強く求められるのが農業の進化だが、中でも施設園芸は、環境制御も含めて先端の取り組みが行われており、農業の未来の姿を写しだしている。新たな栽培技術を用いて気候変動に挑む生産者を訪ね、これからの施設園芸について考えた。
新技術を確立して農業に参入
スタートアップを起業し考古学から農業へ
三重県中央部に位置するのが多気町。“多気”とは、食べ物がたくさん穫れ、多くの気(命)を育む場所という古語に由来しているとも言われている。そのせいか、古くから農業が盛んに行われ、「古代四大文明が生まれた北緯34度30分のラインがこの地を横断しています。日照条件も良く温暖で農業に最適な豊穣ラインとされています」。そう語るのは、この地で施設園芸に取り組む㈱ポモナファームの代表取締役CEOの豊永翔平さん(33歳)。
豊永さんは早稲田大学で考古学を専攻し、考古学研究室で遺跡発掘や景観・文化保存の活動に携わっていたが、文化遺産の周りに起こる環境破壊を目の当たりにし、また各地で進む気候変動、若者の都市部一極集中に深い憂慮を抱き、環境保全と両立する農業によって地域の基盤産業をつくり、課題を解決できないかと考えた。その思いで農業技術の研究・開発を行うスタートアップ企業カルティベラを起業し、モイスカルチャーという独自の栽培技術を開発した。
根域空間の湿度をコントロールするモイスカルチャー
モイスカルチャーは、特殊繊維を蓄積させた人口培地シートを用いて、根域空間の湿度をコントロールすることにより、空間を疑似土中として植物の湿気中根をシート表面に意図的に発生させ、培養し、少量の水分かつ無排水で作物を栽培する農法(2021年に特許取得)。「例えば水耕栽培の場合、植物は水と肥料をいつでも吸収できる状態ですが、それをあえて吸収しにくい環境にすると、植物はその中で少しでも水分が吸収できるよう、葉や果実の中に糖やアミノ酸を大量に合成して、浸透圧を高めようとします。植物に水分ストレスを如何に掛けていくかにフォーカスした栽培技術となります」。こうして糖度が高くアミノ酸を大量に含んだトマトを生産することができる。
そして技術のポイントになるのが根域空間の湿度コントロール。センサーを使って湿度のセンシングを行い、コントローラーに特殊なアルゴリズムを組んで灌水を行う。「そうすることで湿気中根である毛細根を大量に培養することができ、栽培で使用する水は従来の1/10にすることが可能です」。植物が水と肥料を余すことなく吸収するので排水もない。水で育てる農業から湿度で育てる農業への転換を図っている。
また「水耕や土耕のトマトは、栽培適温に対して±2〜5℃までの変温にしか耐えることができませんが、モイスカルチャーで育てると±10〜15℃の変温に耐えることができます。過酷な環境下でも水や肥料をしっかり吸って光合成を行います」。従来のIoTによる環境制御はハウス内の空間環境を如何に整えるかの技術だが、この栽培方法は、植物の環境に対する適応能力を向上させる。温暖化に対応するための新しい農業の形だ。
この技術を実証・実践する場となったのがポモナファームだ。2017年、多気町で農業経営を模索していた地元の万協製薬と、丹生営農組合から共同出資を受け、同ファームを設立し、0.5haの敷地に15棟のハウスで営農をスタートさせた。
モイスカルチャーが新しい農業を育む
糖度9~10を反収10~15tで生産する
しかし「初年度の売上は7万円でした。終わったと思いました」。優れた技術であっても生き物を相手にする実践は違った。また限られた予算の中で結果を出さなければならないわけで、そこを「知恵や工夫でどうやって乗り越えていくかが一番大事だと思っています」。最初はほぼ一人の状態で、ハウスに寝泊まりし、栽培しながらトライアンドエラーで実際の植物から生理学を学び、開発した栽培技術の精度を高めていった。
「最初の3年間は地獄のような毎日でした。しかし美味しいものはできていましたので、そこからシェフの方々やスーパーに提案し、販路が着実に広がっていきました。取り組んでいる姿を見て応援してくださる人達が有り難いことにたくさんいました」。
現在ポモナファームは、1.5haの敷地に33棟のハウスを構える規模となっている。今年さらにハウスが11棟増える予定だ。設立5年で設立時から3倍の棟数になる。栽培はトマトが主となり、大玉、ミディ、ミニ、カラフルなど、ユーザーニーズに合わせて6〜7品種を展開。それ以外にはマイクロリーフやハーブ類、エディブルフラワー、世界各地の唐辛子なども栽培している。
販売先は一部卸の取引があるが、スーパーやレストラン、ホテルとの直接取引が主となっている。従業員は20代を中心にパートスタッフを含めて25名。その他、農福連携で10〜15名のハンディキャップを持った人々が働く。
「糖度が9や10のフルーツトマトだと日本の平均で10a当たりの収穫量は5〜6t。8t穫れれば非常に良い方だと言われていますが、私達は同程度の品質を保ちながら技術的にそれを解決して約10〜15tの収穫を行っています」。これを農業経験の浅い20代中心のスタッフで実現している。さらに10a当たりの売上においても、「単収1000〜1200万円です」。生産要素の単位当たりの効率が極めて高い。モイスカルチャーが売上と品質に大きく貢献する。
水の使用を大きく削減する
ではコストや環境に対してはどうだろうか。まず水の使用を大きく削減できることにより、水資源を守りコスト削減にも繋がる。「水の使用量が1/10で、肥料も少なくて済みます。しかも完全廃液ゼロのシステムなので、廃液を処理する施設が必要なく残留窒素も抑制できます」。残留窒素が少なければ病害虫も抑制できる。「それでも今はわずかですが農薬を使用しています。今後さらに技術が伴っていけば、おそらく無農薬にすることもできます」。また、エネルギーコストに関しても、「根域だけの温度制御なので、一般と比べると重油代は1/3ぐらいに抑えられていると思います」。今後はバイオマスや太陽光などへのエネルギー転換を視野に入れている。
柔軟な品種対応が市場競争力に
モイスカルチャーで水耕栽培の適応を増やす
「トマトは1万種以上品種がありますが、水耕栽培に適応できるのは数品種に限られてしまいます。そのためスーパーに並ぶものが同じ品種ばかりになってしまいます。しかしモイスカルチャーであれば、水耕や露地だと上手く栽培できない品種でも、品種に合わせた根域の湿度管理をして栽培することができます」。市場にあまり出ていない、他でつくりにくい品種のトマトを栽培できれば、そのトマトは競争力を持つ。
「求められる品種が先ずあって、その生産を実現し、そこでできた繋がりを今度は横展開していくのが営業の戦略的なイメージです」。また、ポモナファームは自分たちで種をまき、実生苗からトマトを育てている。「モイスカルチャーで強い苗をつくって、それを定植して同じ条件下で育てています。収穫量が均一になるようスケジュールを組んで、一年を通して安定化させることで直接取引がしやすくなります」。さらに市場からトマトが品薄になる時期を逆算して作型戦略を組むことで、利益幅を増やすことも可能になる。
消費者のニーズに関しては、「環境に良いからといってそれが消費者にアピールするとは思っていません。それよりも美味しいことが第一で、だから食べ続けていたら、実は環境に配慮したトマトだったということで良いのではと思っています。この技術を使って高品質で美味しいトマトをつくることが重要です」。
大量の水や肥料を投入する農業によって、「1950年代から比べると、野菜の栄養価は1/3位になっていると言われています。この技術で、人にも環境にも良い農業の形ができればと思っています」。また栽培適温を拡大できる特性を活かし、今後気候変動が進むことによって栽培が困難になる品目のモイスカルチャーによる技術化も進めている。「葉菜類、果菜類、根菜類はほぼ技術化できました。今年からは、果樹や穀類での取り組みを始める予定です」。
気候変動に負けない持続可能な農業
環境変動に対応し海水農業にも取り組む
日本農業の持続性を脅かしているものに、栽培環境の変化と農業従事者の減少があるが、高収益化した環境配慮型農業はその両方を解決する一つの形を備えている。それを社会的に有効化するためには、普及を進める必要がある。「技術が確立し、ビジネスが成り立つようになって、これからはどれだけ仲間を増やすことができるのか、それが次のフェーズです。気候変動や食料危機に対して、私たちのチャレンジだけでは当然対処することができません。グローバルスタンダードの技術にならなければならないと思っています」。この技術を取り入れる新規就農者をどのように支援していくのか。例えばファイナンス面の支援ではファンドを設立することも考えられるし、ESG投資の枠でも有望かもしれない。
環境変動への対応として、温暖化の進行で起こる農地の塩害や海面上昇に対して“海水農業”に取り組んでいる。モイスカルチャーの技術を使って、海水を希釈して植物を育てる技術で、葉物野菜ではすでに技術を完成させており、年内にはトマトの栽培技術を確立させることができる見通しだ。「建築家と海上農園などの海上建築プロジェクトも進めています」。気候変動に対応する新たな農業が始まっている。
真夏にトマトがある食卓を当たり前に
これからの展望として、「ポモナファームで人材を育て、規模拡大も図っていきたいと思っています。2030年ぐらいには10ha規模のグループファームを展開し、売上高10億円超を目指します」。また豊永さんはこのまま気候変動による温暖化が進めば、本来高温多湿に弱く、冷涼で強い日差しを好むトマトを真夏に栽培することが困難になると考えている。真夏にトマトがある食卓が当たり前でなくなる日が来るということだ。しかしそんな時代になっても多気町には真夏のトマトがあるだろうし、この地の試みが広がっていればもっと違う展開になっているかもしれない。
未来の地球で今の豊かな食を守るために、今、大きな岐路に立っていると言えそうだ。農業がこれ以上環境の負荷にならないように、そして環境変動に対応するよう進化が求められている。そのためにどれほど時間が残されているだろうか。