農業は命を育み食を提供することで、普遍的な需要があるけれど、消費者に選ばれるための競争は熾烈だ。市場出荷でも、産地間競争が当然行われ、大規模産地が小規模産地を押しやったり、存在感が薄ければ、さえない価格に甘んじなければならない。輸入農産物も、価格を武器に市場シェアの切り崩しを狙っている。また新たなブランドの台頭が、従来ブランドを席巻するということもある。
その中、今回注目した一つの戦略は、他の追随を許さないスペシャルな農産物の生産。すぐに真似をされるようでは高値の維持は難しく、産地特有の気候風土を活かしながらも、知恵と工夫を積み重ね、農産物の可能性を引き出す挑戦が必要となる。それがブランドを維持する盾にも矛にもなり、地域活性化にも繋がっていく。宮崎県のマンゴー生産現場を訪ね、その取り組みに市場競争力、農業持続力を探る。
後発産地だが知恵と工夫でハイブランドに
8戸から始めたマンゴー栽培、今は年間1100t栽培し県を代表するブランドに
宮崎県は快晴日数が多く、過去の調査では全国2位、日照時間は全国3位の長さで、年平均気温は17℃と全国3位の高さ。それらの気候のもと、農業が盛んで県内産出額トップの畜産を始め、キュウリ、ピーマン、ダイコンは全国トップクラスの出荷、稲作は超早場米の生産地となっている。その中、『宮崎と言えば?』と聞かれると、昔はハネムーンの聖地やフェニックスが上位に上がり、今でもゴルフと答える人は多いけれど、一般の人を対象に実施したイメージ調査ではマンゴーが1位に上がる。確かなブランドを確立し、全国区の認知度を獲得している。
「私が生まれたころに、宮崎でマンゴー栽培が始まりました」。今回、宮崎県のマンゴー産地を訪ね、宮崎市高岡町で生産に携わる佐藤照正さん(36歳)に栽培の実際を聞いた。
宮崎のマンゴー栽培はJAの技術指導員が沖縄県を視察した際、マンゴーに出会い感銘を受けたことが始まり。1985年に苗木を取り寄せ栽培農家を募り、8戸の農家でハウスマンゴー部会が結成され栽培が始まった。その後、マンゴー栽培先進地の沖縄を何度も訪れ技術指導を受け、生産者同士の情報交換も進め、1988年に宮崎産マンゴー250㎏の初出荷にこぎ着けた。それから35年が経過し、現在の年間出荷量は1100tを超え、全国シェアは沖縄県に次ぐ2位の産地となっている。
その中、産地に魅力を感じ、非農家から就農してマンゴー栽培を展開しているのが佐藤さん。現在10aの圃場に3連ハウスをたて、昨年は約4000玉、約1.5tを収穫し、JAに出荷している。また、生産意欲が高く、新たに22aの圃場に8連ハウスを設け、そこに苗木を植え、規模拡大を進める。他にも30aで金柑を栽培。金柑収穫時にはアルバイトを依頼するが、マンゴーの管理、収穫作業は佐藤さんと奥様の2人で行う。
35年で大きく成長を遂げ、ブランド化に成功し、意欲的な新規就農者も迎える宮崎のマンゴー栽培だが、当初国内産マンゴーは沖縄のものが9割を超え、その市場への大きな挑戦があった。そこに宮崎独自の知恵と工夫が求められた。それが、「樹上完熟と、ハウス内の加温栽培です」。
自然落果の完熟マンゴーと加温、“太陽のタマゴ”で躍進
マンゴーは完熟すると自然に落果する性質があり、沖縄県では8〜9割完熟したものを剪定し収穫していた。栽培開始当初、宮崎県でもそれに倣っていたが、樹上で完熟して自然落果したマンゴーを食べてみると剪定収穫したものより美味しいことに気付いた。しかし、自然落果したマンゴーには傷が付き、商品価値は下がる。そこで考え出されたのが落果を受け止める専用ネットを利用した収穫方法。それを使い傷付けずに完熟マンゴーを収穫することができるようになった。“完熟マンゴーの濃厚な甘みと美しい外観”が宮崎産マンゴーの特長となり、ブランド化を大きく進めた。
加温栽培であることも市場拡大の大きな要因になっている。沖縄産は加温をせず、出荷時期は7〜8月となる。同時期に出荷すれば供給過多を起こし、値崩れに繋がる。そこで、ハウス内を加温することで、収穫時期をコントロールし、早い時期での出荷を行っている。「私の所では昨年、3月頭から4月中旬位までで全ての出荷が終わりました。産地としては2月下旬から3月頭に出荷が始まって、8月中旬ぐらいまで続きます」。早期出荷すればその希少性から高値での取引に期待が持てる。さらに5月には母の日、6月には父の日、夏にはお中元の需要があり、加温栽培によってギフト市場を広くカバーすることができる。「以前はこの産地内でも母の日に向けて出荷が集中してしまうこともあったようですが、今は他のギフト需要も合わせて全体のバランスを図り、シーズン全体を通した安定出荷を図っています」。
さらに宮崎産マンゴーに、よりスペシャル感を与えているのが、1998年から取り入れられた“太陽のタマゴ”の認証だ。宮崎産マンゴーの最高峰として、「生産者からJAに出荷された中で、糖度15度以上、重さ350g以上、さらに外観など厳しい基準をクリアしたものを“太陽のタマゴ”とし、その名称を名乗ることができます。部会の平均で言えば全体の20%程しか太陽のタマゴとして認定されません」。厳しい選考基準によって、マンゴー全体のブランドの価値向上に繋がっている。
加温栽培は燃料費に大きく左右される
燃料費高騰で加温栽培に打撃 新設備でコスト削減
佐藤さんは地元JAに勤務していたが、自らマンゴー栽培に取り組みたいと、2019年に就農。「先駆者の方が試行錯誤しながら栽培技術を確立していただいたおかげで今があります」。それでも「摘果作業は大変です。限られた期間の間に作業を終わらせなければなりません。品質を左右する失敗できない作業です」。JAの技術指導員とも相談しながら作業が進められている。また、「収穫が終われば剪定を行います。これは生産者の技術が強く問われる作業です。剪定を上手くすれば、幹を太くでき、長く安定収量を維持し、植え替え時期を延ばすことができます」。個々の生産者の腕の見せ所だ。
その繊細な作業の時間を生み出すためにも、省力化・自動化には積極的に取り組む。ハウス内の温度や散水は自動制御によって管理し、肥料に関しても液体肥料を使用することで散水時に自動で施肥を行うなど、機械化を進める。これらの栽培技術や機械化・自動化がブランド力を維持する力ともなっている。ただそれだけでは対応できない課題もでてきている。
「一つが温暖化の影響です。夏場のハウス内は40℃にもなってしまうことがあります」。これではさすがに南国原産のマンゴーでも暑すぎる。「それに対して、コストの掛からない遮光資材を使うなど、JAの技術指導員が試験をして指導してくれます」。試行錯誤も必要であり、個々の生産者では対応できないことも多い。地域全体として取り組む必要がある。
さらにもう一つ大きな課題となっているのが燃料費だ。世界情勢から不安定にもなり変動の影響は大きい。加温栽培することで早期出荷を実現し、ギフト市場の取り込みも可能としたが、重油価格が高騰すればたちまち生産コストが上がってしまい、採算性が悪化する。加温栽培はリスクを伴う。「生産コストで一番大きな割合が燃料費です。ハウス内の最低温度は20℃を切らないように管理し、実が付けばさらに最低温度が25℃を切らないようにしなければなりません」。そのため、11月から、出荷が始まる4月までの約半年間はハウス内の加温が必要となる。従来は加温機で温風をダクトに送風していたが、少しでも燃料費を抑えるため、「ハウス内の地上20㎝程の所にアルミ管を設置し、そこをボイラーで沸かしたお湯が流れる設備を導入しました」。暖かい空気で加温するよりも、お湯で下から加温する方が燃料コストを抑えることができる。さらに、「加温機だと、どうしてもハウス内に温度ムラができますが、お湯が常にハウス内を循環しているので、地温を暖めることになり、温度ムラを解消してくれます」。
ハイブランドとして消費者の期待に応え、選択を得る
また以前は、早期出荷というだけで高額での販売が可能となっていたが、「今は早い時期の出荷に加えて、しっかりした味や品質が備わっていなければ市場からの評価はいただけません。早期出荷でも高い品質が持てるように、部会の目標として取り組んでいます」。また消費者の嗜好や価値観は時間と共に変化しており、それに対しても柔軟に対応することが求められている。
ハイブランドとして様々なこだわりがあり、栽培技術以外にも注意を払っていることがある。「私たちのマンゴーは安いものではありません。ですからそれにふさわしい栽培環境に整えることが必要だと思っています」。ハウス内外を常に整理整頓し、綺麗に保つことが心がけられている。さらに、「絶対に間違いのないものをつくるんだと、常に意識しています」。宮崎産マンゴーにはハイブランドに対する期待もあり、決してそれを裏切らないよう、あるいはそれを上回れるように、生産全体を通した取り組みが行われている。
マンゴーには夢がある。後に続く者に道を
「経営は今のところ順調です」。夢が見られる農業になっている。そこで新たに8連ハウスを設けて規模拡大を進めた。この取り組みは収益拡大の機会を創出するとともに、今後の後継者育成や地域活性化に繋げる布石でもある。
新機就農者にとってこの地のマンゴー栽培は、ブランドがすでに構築され、収益性が高い魅力ある作物だが、初期投資もそれなりに必要となり、栽培に失敗すると経済的に大きな負担を背負うことになる。そのため佐藤さんのような非農家出身のマンゴー生産者は少ない。「私の場合、マンゴー栽培を始めたときに、先駆者の方やJAの指導員といった頼れる人が身近にいたので、今のところ栽培の失敗もありません。しかし、マンゴーに取り組みたいと思ったとき、私のような恵まれた環境の人達ばかりではありません」。そこで、さらに規模拡大することで、マンゴーに取り組みたい人を受け入れる余地をつくりたいと考えている。「マンゴーに取り組みたい若者がいれば、雇用して勉強してもらうことを考えています。そのための規模拡大でもあります」。
生産者育成は、産地の維持発展にとって不可欠だ。また地域住民の定年後の雇用先となることも念頭にある。「この周りには、定年された高齢の方がたくさんいらっしゃいます。そういう方に都合の良い時間に働きに来ていただける場にすることを目指しています。10年後にはそれを実現したいですね」。高いブランド力が地域活性化にも貢献する。
消費者に選択される作物をつくることは簡単なことじゃない。他と比較して優位な点を見いだした上で、長所を伸ばし、欠点を補い、運とタイミングと閃きと、時に投資も出会いも必要で、その全てを持って進んだ先に審判が下される。宮崎は多くの評価を得たが、必ず選ばれるというわけではないし、宮崎だって後を追う者はいる。ただその過程で生産者や産地が鍛えられ、夢を持つ力が生み出されるのではないだろうか。そこにスペシャルなものに挑む意義があると感じた。