ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本が2009年の大会以来、3度目の優勝となり、テレビの平均世帯視聴率は軒並み40%を超え、記録にも記憶にも残る大会となった。大谷以下、劇的に活躍する選手が何人もいて、歓喜の瞬間を何度も与えてくれた。その感動は明日を頑張る力になり、子共たちにとっては、野球選手になりたいというものになっていく。それがエンターテイメントの力だ。人は楽しいものに引き寄せられる。ぜひこの力を農業にも使いたい。
世界中の農家が集まってナンバー1を決めるような大会はないが、農業に携わる者にも歓喜の瞬間は訪れる。収穫の時、新品種の栽培に成功した時、あるいは取り引きが増えた時、ブランドが評価された時、劇的ではないかもしれないが、農業は単に食を生み出すだけではなく、人を笑顔にする力がある。職業として選択してもらうためにも、その力を活用していく必要がある。今回、人と繋がり笑顔の輪の中で農業を展開する生産者から楽しい農業を探った。
富山県初の第三者外国人農業経営継承者
ネパールから来日し農業生産法人を継承
農業の労働者不足を補う存在として、外国人労働者には大きな役割が期待され、コロナによりその流れが一時的な停滞となったが、日本農業の大きな力になっていることは間違いない。生産現場の頼もしい力だ。一方で農業経営者となると外国人はまだまだ珍しい存在だ。今回お訪ねしたのは富山県射水市で小松菜などを生産するダルマ・ラマさん(48歳)。ネパール出身で日本人女性と結婚し、妻の出産を機に2005年に来日したが、縁あって㈱葉っぴーFarmで農業を始め、2017年に富山県内初となる、日本人以外の第三者による農業経営継承者として、同ファームの事業を引き継ぎ、代表取締役を務める。
葉っぴーFarmは約70aに34棟のハウスで小松菜を生産し、その他、約2haの露地で長ネギとカブラ、少量のパクチーなどを生産している。主力の小松菜は、多い時で1日当たり600㎏を出荷する。「経営を担うようになってから規模拡大を進め、生産量が増えています。小松菜だけで年間100tの生産を目指しています」。小松菜は播種後1ヵ月で収穫でき、周年で生産しているが気温が下がる11月頃から生育が遅くなり出荷量も減ってしまう。そこで「11月から長ネギの出荷が増えるように調整しています。12月からは降雪のため長ネギの生産が難しくなるので、それ以降は雪の中で甘くなるカブラを収穫して出荷しています」。パート・スタッフ10名程と、昨年受け入れたネパールからの研修生1名でこの3品目の生産に取り組んでいる。
曼荼羅を描く仏画師から小松菜栽培の農家に
ダルマさんは最初から農業を志していたわけではない。元々、ネパールでは曼荼羅を描く仏画師であり、来日後もその仕事を続けようと、妻の出身地である富山県で暮らしながら、曼荼羅を描くためのアトリエを探していた。その時に、場所を提供したのが葉っぴーFarmの創業者で先代の荒木龍憲さんだった。そこから農業との関わりが始まっていく。荒木さんは農場の向かいにカフェを開いており、その2階がダルマさんのアトリエとなったが、ダルマさんの興味を引いたのは、小松菜の栽培。お願いして手の空いている時に荒木さんの手伝いを始めると、たちまち農業の楽しさに魅了された。
栽培の楽しさもあったが、その仕事を面白いと思うようになったのは、農業をきっかけとした出会いだった。「私は外から来た人間です。友達はいません。同級生もいない。知り合いもいません。それが農業を通じて地域や地域外の人と様々な繋がりができ、交流が生まれてきました」。ダルマさんにとって、地域の人と行う草刈りや用水路の掃除も交流が深まる楽しい時間となった。「人との交流は、農業の楽しさであり魅力だと感じました」。ダルマさんが農業を続ける大きな理由の一つだ。
荒木さんから栽培技術を習得し、その働きぶりから後継者にならないかと声を掛けられた。「最初は冗談だと思っていましたが、やってみようと思いました」。こうして同ファームを継ぐことを決意。そして後を継ぐのであれば、「単につくるだけではない農業にしようと思いました。出荷した小松菜がどのような人に届いていくのか。消費者とも繋がる道をつくりたいと考えました」。
栽培技術を高め、販路を開拓し、加工にも挑戦
生で食べられる小松菜を生産
富山県は良質で豊富な水資源を活かした米づくり中心の農業が行われているが、野菜に関しては重粘土質土壌が多く、栽培には向いていない。そこで同ファームでは、有機肥料のみを使用して野菜作に向いた土壌へと改善を図り、定期的に土壌分析を行い、農薬の使用量を極力抑え、さらに立山連峰の天然水を濾過して使用する潅水設備を導入。環境の不利に適応し有利を活かし、栽培技術を高めていった。栽培される小松菜は柔らかでえぐみがなく生でも食べることができる。「粘土層で野菜づくりには難しいですが、手間を掛けることで美味しい野菜をつくることができます」。
こうして生産された小松菜は、「以前は全てJAに出荷していましたが、今は2〜3割程度を新たな取引先に出荷しています」。野菜の加工会社やスーパー、飲食店、ホテルなどとの直接取引が増えている。またまだわずかな量だがフランスへの輸出も行っている。「これからは自分たちと実需者が直接コミュニケーションをとって、どんなニーズがあるかを知って小松菜をつくることが大切だと思います。ただつくるだけでは面白くありません」。直接取引先を今後も増やしていきたい考えだ。
やりたい農業を目一杯やって、自分が楽しいと感じる農業を目指す
さらに実需者ニーズに合わせて、2020年には小松菜のペーストやパウダー、冷凍小松菜などを生産する加工場を新設した。中でも冷凍小松菜は病院給食などへの食材として新たな販路を生み出している。「野菜は鮮度が重要なので、遠方まで出荷するのは困難です。しかし急速冷凍の技術を使って加工すれば全国に送ることができます。これが加工品のメリットだと思って取り組んでいます」。また、規格外品を加工用に回すことでロスを減らすこともできる。ただ課題もある。「自社で加工すれば、無駄な時間やコストが掛からないと思ったのですが、取り組んでみるとかなりの技術が必要なので、それなりに大変です」。しかし、6次化には確かな手応えを感じているようだ。
事業を継承して6年。規模を拡大し、取引先を広げ6次化にも挑戦してきた。「他の小松菜産地と比較すれば小さな規模ですが、自分のやりたい農業を目一杯やって、自分が楽しいいと感じることができればそれで充分だと思っています」。逆に言えば楽しくなければ充分ではないということで、そこに目指す農業の姿が透けて見える。
笑顔の輪を広げるようにして農業を展開
ダルマさんは、農業のことやネパール文化について食事をしながら交流できる場をつくりたいという思いがあり、月に1回、同ファームのカフェでイベントを開催してきた。SNSで開催告知を行い、会費制で毎回15〜16名が参加する。現在はコロナの影響で開催を見送っているが、既済のイベントでは、同ファームの小松菜や栽培のこだわりをなどを紹介しながら、ダルマさんが調理したネパールの家庭料理や生の小松菜を使ったサラダが味わえ、新しい味や異文化に出会える機会となっている。さらに小松菜の収穫体験も実施した。
これらのイベントは楽しさだけではなく、販路の開拓にも繋がっている。このイベントで出した生の小松菜が、「美味しいと口コミで広がりました。そのおかげで取引先が増えました」。ダルマさんが後を継いでからの直接取引のほとんどが、このイベントでの口コミがきっかけとなって始まっている。「ここに来て、ネパール料理や小松菜を食べていただき、私たちの取り組みを知ってもらうことで、繋がりができ、営業をせずに大きな効果となっています」。楽しい所に人は集まる。人が集まれば新たな楽しさも生まれ、可能性も生まれる。楽しさを力に笑顔の輪を広げるようにして農業が展開されている。
人を喜ばせるのは楽しい仕事
ネパールでエゴマを生産、農業で母国に貢献したい
ダルマさんにこれからの展望を聞くと、その一つがネパールでのエゴマの栽培。すでに2018年に現地でエゴマを生産し、日本に輸出する現地法人を立ち上げている。「私の武器は、仏画師としての曼荼羅でしたが、今はそれに加えて食を生産する農業が加わりました。そこで、農業を通してネパールと日本の架け橋になれないかと考えています」。エゴマはインド高地やネパールが原産地とされ、生活習慣病の予防などが期待できるα-リノレン酸が豊富に含まれ、日本では実を搾った油が健康志向の高い人に人気だ。さらにネパールで生産されるエゴマは無農薬有機栽培で付加価値が高く、有望な農産物として期待できる。しかし課題もあり、現地での農業は手作業がほとんどとなり、生産性については改善の余地が大いにある。「日本の高い農業技術をネパールに導入することで生産性を上げていきたいと思っています。この事業が上手くいけば、ネパールの人もハッピーになるし、日本の実需者もハッピーになります」。日本で出会い学んだ農業で母国に貢献することができればと、ダルマさんの夢は膨らむ。
葉っぴーFarmにおいては、「これからも規模拡大を続けていきます。今、事業承継時よりも5倍の規模になっていますが、さらに増やしていくつもりです」。規模を拡大し生産量を増やせば、売上にも繋がっていくが、規模拡大の理由はそれだけではない。周囲では高齢化が進展し、農地を預けたいとする農家も増えている。中には水はけが悪く、栽培に不利な圃場もあるが、「どんな条件の圃場でも引き受けています。私が農業に取り組むのは、農業が楽しいことが一つですが、この地域の農業を支えたいという思いがあるからです」。農業によって地域の人達と繋がり、楽しさも含めて多くのものを得てきた。その基本となる地域農業を守りたい気持ちは強い。
楽しさは農業に人を惹きつける大きな力
農業が提供できる楽しさは様々あり、美味しい食べ物もその一つだ。「美味しい食事と健康があれば、人は楽しくなります。それを支えているのが農業です。だからこそ美味しくて安全・安心な農産物をつくりたいと思っています」。美味しい農産物は消費者の楽しみだが、「ここの小松菜を美味しいと言ってくれる人がいます。そして応援してくれる人がいます。その人達に喜んでもらいたいと思うとエネルギーが出てきます」。消費者の笑顔は生産者の楽しみだ。
当初、農業の楽しさを、その営みを通じた様々な人との出会いとし、それを広げることで販路の拡大にも繋げていったが、続けるうちにその中で繋がった人々を喜ばせることにも大きな楽しさを見いだしている。ここに農業持続の鍵がある。つまり人の役に立つことが、楽しいということだ。人を熱狂させるような楽しさではないが、そこにも確かに笑顔はある。農業の大きな価値であり、挑戦に値する意義がある。人は楽しい所に集まる。この楽しさは農業に人を惹きつけるための力となるはずだ。母国を遠く離れて日本で農業に携わるダルマさんの姿がそれを示しているように見えた。