人は食べるために働かねばならない。全ての人とは言えないけれど、まぁ大方の人は大抵。そのために職業を選ぶわけだけど、何でも良いというわけではなく、楽して儲けたいとか、やりがいが欲しいとか、夢を実現したい、人の役に立ちたい、家の近くが良い、才能を活かす、大金を得たい、社会に貢献したい、と思いは様々。中には選択の余地も無く家業として、あるいは他に行く所が無かったからと仕事を選ぶ人もいる。
加えて志向や能力以外にも時々の社会情勢や生まれた場所、環境によって様々な選択が行われる。それらの条件の中から、果たして農業に辿り着く者はどれだけいるのか。人手不足が深刻化する中、他の業種との競争もある。儲からないと後を継がない人も多い。きつい仕事だとイメージも悪い。そんな状況でも、農業に魅力を感じ、職業として選択し、日々仕事に勤しむ人々が農業の未来を担っていく。農業に携わる人材の確保、育成について探った。(記事中の状況・数値は2019年3月現在)
持続可能な大規模酪農経営を実践
経営の一番の課題は人
昨年末に確報としてまとめられた平成29年の新規就農者数は5万5670人。10年前の19年は7万3460人。この10年間で、1万7790人が農業を職業の選択肢からはずした。しかし農業生産法人などを務め先に選ぶ新規雇用就農者は19年の7290人から1万520人に増加。また他の分野から参入し新たに農業経営者となった新規参入者は、19年の1750人から3640人になった。農業との関わりが少なかった生活から農業に飛び込んできた人が多くを占めるカテゴリーが5120人増えたということだ。それでは減少の主な原因になったのは何かと言うと、家業として営んでいる自営農業に従事する新規自営農業就農者にあり、19年の6万4420人から4万1520人と2万2900人が家の農業を仕事とせず後継者たることをやめている。目下の所、農業生産法人などへの雇用就農者と新規参入者の充実に農業の持続が委ねられている。
そんな状況の中、「人が一番の課題ですね」と言う広野豊さんが社長を務める㈲広野牧場を訪れた。香川県の三木町で酪農をメインに展開。経産牛300頭を擁し、乳量は年間3000tになる。両親と本人を含めた役員が3人、正社員が19人、パート・アルバイトが6人。女性が7割を占め、平均年齢は約31歳。広野社長は41歳。若手の後継者として高い意欲を持ち、先駆的な取り組みにも積極的で、農業をビジネスとして展開し、地域で大きな存在感を発揮している。
フリーバーン方式で牛の管理にはICTを活用
もともと広野牧場は、昭和54年に父親で現在も共同代表を務める正則さん(67歳)が20頭から酪農経営を始めたことに端を発し、平成8年にはフリーバーン方式を導入し、50頭に規模を拡大。13年に法人化し、18年には持続可能な酪農経営を目指し200頭へと更なる拡大を行った。この時に豊さんが後継者として就農した。「当時は工務店に務めて現場監督をしていました」。仕事も楽しく、順調だったが、父親が規模を拡大すると牧場の顧問税理士に聞かされ、今後のこともあり後継者になるかどうかの意思が問われた。「子どもの頃から手伝いをしないと遊びにも行けず、絶対、後は継がないと思っていました。父親と比べられるのも嫌でしたし。でも一人っ子で、最後は親孝行するつもりで決めました」。
現在は豊さんが経営を担い、正則さんは「堆肥のことや草刈りのことなど、僕が後回しにしがちな仕事をやってくれて、大変助かっています」。大規模経営を実践しながら生産性の向上を図り、5棟のフリーバーン牛舎を持ち、合わせて7500㎡の中に、300頭のホルスタイン(20頭はブラウンスイス)を飼養。搾乳はパラレル式のミキシングパーラー10頭をダブルで設置し、朝夕搾ったものをJAに出荷する他、一部を自社での加工に回している。
餌に関しては牧草を作らず、全量購入の発酵TMRを使用。牛糞の処理のため1200㎡の発酵施設と500㎡の堆肥舎があり、堆肥は耕種農家に販売している。後継牛に関しては「基本的に導入です。北海道から初妊牛を買ってきます」。必要なときに必要な頭数を揃えることができ、安定した経営に繋がり、子牛の販売も売上に貢献する。しかし、初妊牛が高値となる中でもあり、「最近は育成にも力を入れています」と、自社の育成牛を九州の農場に預託し年間20頭を賄っている。また繁殖用の黒毛和牛を17頭ほど飼養し、子牛の販売や採卵を行っている。受精卵を自社の牧場のホルスタインに戻し黒毛和牛の子牛を生産する。
日々の牛の管理にはICTを活用。1頭ずつ乳量を記録し、行動の管理も行う。「牛には加速度センサーが付けてあって、歩いている、座っている、反芻しているなどがすべてリアルタイムで分かり、データーをAIが分析し発情や疾病の疑いなどがスマートフォンで確認できます」。それにより、きめ細やかな飼養管理を行う。「それまで見過ごしていたことにも対応することになり仕事量は増えるのですが、きちんと繁殖ができれば、きちんとした収益に繋がります」。新しいことを積極的に取り入れて、経営の力にしている。
多角化で従業員は様々な仕事に対応
田舎に雇用をつくり、人を集める
広野牧場は大規模経営が大きな特徴となっているが、もう一つ目をひくのが経営の多角化。「農業をしていますと言うと、すぐに大変だと言われ、普通のビジネスとは違うイメージが持たれています。僕はそれを腹立たしく思っていて、イメージを良くしたいというのが多角化の一つの理由です」。現在飲食部門としてジェラートを製造販売する“森のジェラテリアMUCCA”を2店舗と、チーズを製造する“森のチーズ工房VACCA”、そのチーズを使ってピザを作る“森のピッツェリアVACCA”を運営している。
「田舎から人が減っていくという状況の中で、如何に人に来てもらうか。飲食店はその仕掛けであり、田舎に雇用を作ることにもなります」。また酪農教育ファームの認証牧場でもあり、交流に力を入れ、子どもたちの体験などを受け入れている。バターやチーズを作り、牛の餌やり、ブラッシング、散歩、子牛のミルクやりなどを通じて、酪農の仕事を経験してもらい、「大きくなって仕事を探すときの選択肢の一つにして欲しい」。農業の持続を図るための大切な活動となっている。
他にも交流・教育として、大学生や高校生、社会人に対するインターンシップを行い、年間40人ほどを受け入れている。「地域に若者がいるということが大切なことです」。将来的には「人材を育成する学校のような人を育てる部門を作りたい」との思いもある。
従業員は全て日本人を採用
これらの多岐にわたる仕事に携わっているのが、現在パート・アルバイトを含めて25人いる広野牧場の従業員たちだ。牛の世話をする牧場の日々の仕事から、接客しながら、ピザやチーズなども作る店舗の運営管理までこなす。「1人当たりの守備範囲は相当広いです。今はうちで働いていても将来は独立を目指している人もいます。色々なことを総合的にできるようになって欲しいと思っています」。それぞれが、牛の管理や店舗の運営など、軸足を置く部門を定めながらも様々な事に携わる体制となっている。「いろんなことを考えなければならない状態です」。
雇用においてもう一つ大きな特徴は、「この規模で従業員が全て日本人だということ。他ではあまり例がないと思います」。10年ほど前は10人中4人が外国人研修生だったが、現場トップと意見が合わず、会社を去り、それ以降日本人だけでやってきた。「日本人だけになった直後は人手がなく、早朝から夜遅くまで毎日仕事で、僕も父も必死に働きました。おかげで利益は出ましたが、人を育てるという状態ではありませんでした。そんな中でも辞めずに残ってくれた人がいて、その人たちが育ち、今大きな力になってくれています」。人材の成長が、余裕を生み出し、人を育てる環境を作り出していく。
将来像を明確にしていくことが大切
バラエティーに富む人材が牧場の力に
今では毎年新入社員が入り、今年の春には4人の新卒が入社する。農業系の高校を卒業した2人の女性と、後は酪農大学を卒業する男性と大学院で農業を専攻した女性。農業を専門に学んだ人を採用するのは初めてのことになる。「最初はひどい会社だったと思いますが、今は募集すれば集まる状況です」。これまで入社してきた人は経歴もバラエティーに富み、大工や居酒屋の店長、食品製造会社勤務など。「中途採用の人は今迄築き上げてきたものを変えていかなければならないので、それが大変だと思ますが、それまでに培った色々な特技があり、僕たちと違う判断基準もあって、面白いと感じます」。多様な人材が集う。
採用するときはまず、「1週間ほどインターンとして働いてもらい、お互いを見ます。コミュニケーションを取りながら、どんな思いを持っているのか、人となりを探ります」。ミスマッチを防ぐことに繋がり採用後の定着率向上に繋がる。また一緒に働くことになる従業員の意見を尊重し、「僕が良いと思っても、一緒に働く従業員の人が難しいということであれば採用しません」。従業員全員で人材を育てるという考えであり、「自分たちで判断したということがすごく大事です」。求められる人材は「素直に人の話が聞け、コミュニケーションがとれること」。酪農を中心に様々な仕事があり、また変化する状況への対応も求められ、柔軟性が必要とされている。
飲食部門があるから人材を採用できる
今は必要とする人材を採用できているが、「それができているのは飲食部門があるからです」。普通の牧場だとお客さんの顔は一切見えないが、広野牧場では日々の仕事がどこに繋がっていくのかが見える。お客さんの喜ぶ顔が仕事の意義を肌で感じさせ、やりがいとなっている。JAに出荷するだけの農業ではそうはいかない。また多角化することで様々な仕事が生み出され、それが多様な働き方に対応する。
特に女性は出産・子育てなどがあり、その時々に応じた働き方をしなければ仕事を続けることはできない。ライフステージに合わせて、「結婚前は朝5時から牛の世話をしていた人も、結婚後はジェラートショップで昼間のパートなど。また、介護のため時短勤務の人もいますし、産休・育休を取得している人もいます」。飲食部門の売り上げは10%ほどだが、「これがあるから人が集まるのです。この部門を持っている価値は十分あります」。
従業員の成長と会社の成長を重ねる
人事育成では人事評価を四半期ごとに実施し、定めた目標を達成したかどうかなどを自己評価と上司による客観的評価を交えて行う。その結果を年2回の昇給に反映し、また増える責任に対応して権限も付随するようにバランスをとることが心掛けられている。さらにリーダー制を採用。指揮系統を明確にするのと同時に、その制度により、部下をリーダーの仕事ができるようにすること、リーダーが部下の憧れの存在になることなど、共に成長する仕組みとして期待されている。
人を育てる上で最も大切なことは「なりたい将来像を明確にしていくことです。そのための話し合いが一番大変なのですが、心の底から思っていることが分かれば、それを実現するために僕のできることをしてあげたい」。従業員が幸せになるために成長していくことが会社の成長とも重なり、全力でサポートしていくことが人を育てることにもなっているようだ。未来に希望が持てる職場には人が集まり、人が育つ。