新型コロナが残した教訓は“世界は思うよりずっと小さい”という感覚ではないだろうか。感染症は瞬く間に世界中に広がり、外国製のワクチンが多くの命を救い、経済再始動の中で起こったインフレはグローバルなものとなった。私たちは否応なく繋がっている。その中で今起こっているのが異常気象の常態化と地政学リスクの高まりだ。一国の努力だけで発生を防ぐことはできないし、影響を避けることもできない。それならば守りを固めるというのが選択肢の一つ。
そこで注目されるのが自給だ。食について言えば自分たちが食べるものは自分たちでつくる。古い方法だが、新しい時代を生き延びる確かな方法でもある。今回、自給飼料に取り組む酪農家を訪ね、持続可能な酪農と農業のこれからを探った。
時代の変化を幾つも乗り越えて酪農を持続
昔は集落の半数以上で牛を飼っていたが今は2軒だけ
舞鶴市は京都府の北部に位置し、軍港として栄えた日本海側屈指の港湾都市であり、水産業も盛んに行われている。平地部では稲作が中心に行われ、野菜作では京都府を代表するブランド京野菜である“万願寺甘とう”や黒大豆である“紫ずきん”の生産が広がっている。その周囲は山岳・丘陵部が四方を取り囲み、その中山間地域で酪農を展開しているのが今回お訪ねした山﨑牧場の山﨑俊邦さん。「昔は集落の半数以上で牛を飼っていましたが、今では私の所を含めて2軒になってしまいました」。80歳のベテラン酪農家だ。
同牧場では、ホルスタインの搾乳牛が40頭、育成牛が10数頭の構成で、1日当たり約900㎏の生乳を生産している。労働力は山﨑さんご夫妻と息子さんの3名で、家族経営の牧場を展開している。粗飼料は自給飼料主体で賄っており、稲WCSを4.6ha、イタリアンライグラスを6haで生産。集落内では高齢化が進み山﨑さんが農地を預かり規模が拡大している。他にも集落外で飼料用として栽培された飼料用稲15haの収穫と調製作業を請け負い、そこから稲WCSをつくり、自身の牧場で給餌する飼料として引き受けている。「近隣では営農組合をつくり農業を維持していますが、高齢化が進み、どうやって農地を守っていくか苦慮している状況です。そこで、農地を守るため稲WCSをつくってもらって、それをここで引き受けています。何もしなければ耕作放棄地になってしまうのが現状です」。地域で生産された稲WCSは、この地でもう1軒営農を続けている酪農家と共同で使用している。
このような取り組みで粗飼料は自給できているのだが、「乳用牛に十分な栄養を与えるためには、トウモロコシなどを原料とした配合飼料や、発育の向上、乳量の増加が期待できるマメ科のアルファルファなどを購入しなければなりません」。アルファルファは乾燥土壌を好み、湿害に弱い草種であるため、土壌が湿潤で酸性傾向にある日本では栽培管理が難しいとされ、現状では輸入に頼っている。輸入飼料の価格については、国際情勢の影響を受けて高騰したが、「今でも高止まりの状態」とのこと。これらの購入した飼料は自給粗飼料とミキシングし、バランスを整えて、給餌を行っている。「牧場を経営する上で安定した乳量の維持が大切だと考えています」。
輸入飼料が手頃なものとなっても、粗飼料だけはつくり続け自前で賄ってきた
山﨑さんが酪農の道へと進んだのは18歳の時。「牛飼いとしては長いですよ。本当は大工になりたかったんですが、父親が百姓で、その長男が大工になってどうするんだと怒られて、それで牛飼いになりました」。最初は子牛1頭からのスタート。自ら牛舎を建て、少しずつ牛を増やし、時代の変化を幾つも乗り越えながら、今の規模へと辿りついた。「始めた頃は牛飼いが牛の餌を買うなんてことはありませんでした」。牛の糞尿を堆肥にして、田んぼでイタリアンライグラスやスーダン、飼料用のトウモロコシを栽培した。「毎日家内と一緒になって、車一杯になるまで刈り取っていました。それだけあれば、当時の牛舎で使う分は全て賄えました」。さらに、コーンハーベスタを導入しサイロをつくってトウモロコシのサイレージにも取り組んだ。「100㎥のサイロをつくりましたが、詰める作業が大変でした」。今のようなロールベール・ラップサイレージによる飼料生産の機械化体系は確立しておらず、飼料づくりは労働負荷の高い作業となっていた。「ロールベール・ラップサイレージが出てきて本当に楽になりました。それを機にイタリアンライグラスやスーダンをロールに変えて、トウモロコシのサイレージは止めました」。
時代と共に酪農の形が変わっていった。1985年のプラザ合意の時に1ドル250円だった円が、2年ほどで140円ほどになり、輸入飼料が手頃なものとなり、手間の掛かる飼料づくりを避け購入を選択する者が増えていった。それでも、「粗飼料だけはつくり続け、自前のもので賄ってきました」。飼料づくりの機械化がそれを可能にし、また糞尿を処理するための圃場を確保することにもなり、資源循環型農業の実践で、今も続く酪農経営と繋がっている。
稲WCSの取り組みで耕作放棄地を抑制
ホールクロップ収穫機とラッピングマシーンで作業性が大幅に向上
山﨑さんはイタリアンライグラスの生産に関して、早くからロールベール・ラップサイレージによる機械化を進めてきたが、2012年頃からは新たな粗飼料として稲WCSの取り組みを開始した。きっかけはお米の生産も行っていた知人の畜産農家が、お米づくりの将来に対して厳しい見通しを立て、稲WCSの取り組みを始めたことから。「それで一緒に始めることにしました」。稲自体は藁や青刈りしたものを給餌させたこともあり、粗飼料としての稲WCSには何の不安もなく、むしろ「田んぼでできて、作業性が良く補助金も付く」とメリットを感じていた。「この辺りでは一番最初の取り組みだったと思います」。
当初はイタリアンライグラスのWCSづくりに使用している牧草用のロールベーラを使っていたが、「圃場がぬかるんでいると動かなくなって大変でした」。その後、2014年には地元JAが稲の刈り取りと裁断、ロールベールを1台でこなせるホールクロップ収穫機とラッピングマシーンを導入。それを借り受けることで作業性が大幅に向上した。集落内で農地を預かり、規模が大きくなっていったが効率的な作業で対応した。さらに集落外の耕種農家でも稲WCSに取り組むようになり、収穫・調製作業でもオペレータを請け負った。昨年、JAのホールクロップ収穫機とラッピングマシーンは山﨑牧場が買い取り、現在は同牧場の所有となっている。
嗜好性の良い餌にするために重要なのが適期に収穫しWCSに調製すること
飼料づくりにおける山﨑さんのこだわりは、「牛が喜んで食べられるように、嗜好性の良い餌にすることです」。そのために重要なのが適期に収穫しWCSに調製することだと話す。その作業を「息子と2人だけで取り組んでいます。人手をかけているようでは儲かりません。それに牛飼いは百姓だから何でもやらないといけません」。限られた労働力で適期に作業を行うためには如何に作業効率を良くするかが重要となる。そこで、任された農地を引き受ける条件として隣接する圃場を合筆したり、分散した圃場の団地化を図ってきた。また良質な作物をつくるためには良質な圃場が必要であり、圃場を荒らさないことが重要になる。しっかり管理されてきた圃場を、荒らすこと無く引き継ぐことが重要だと考えている。
山﨑さんは今もなお、田んぼを任せたいとか、稲WCSの収穫・調製を引き受けて欲しいと、声を掛けられているが、「現状は人手も限られていますし、これ以上は稲WCSの供給過多になり使い切れません」。また、堆肥の還元においても、今の労働力では自ら管理する圃場に供給することで手一杯になっている。行政による耕畜連携のマッチング施策などが行われているが、「酪農家が増えない状況にあって、この地域でこれ以上稲WCSを増やしていくのは非常に困難です」。これからは、新たな畜種農家を含めたさらに広域での耕畜連携を視野に入れなければならないようだ。
一方市内には、養鶏農家を中心とした飼料用米での耕畜連携が生まれてきている。牛に飼料用米を給与するには、玄米を粉砕や圧ぺん等、加工処理をする必要があるため、「私たちは飼料用米の給餌は考えていませんが、舞鶴市には養鶏農家が比較的多いので、中には50haの規模で飼料用米をつくっている養鶏農家があります」。農地を維持する観点からは新しい可能性だ。
酪農経営を持続させて中山間地の農地を守る
イアコーンサイレージの取り組みにもチャレンジ
山﨑農場ではこれからの飼料づくりとして、新たな挑戦も考えている。「6haのイタリアンライグラスの畑でイアコーンサイレージに取り組んでみたいと思っています」。イアコーンサイレージは、トウモロコシの雌穂(イアコーン)の一部または全体を収穫し密封貯蔵して発酵させたもので、栄養価が高く、牛用の自給濃厚飼料として利用することができる。さらに、イタリアンライグラスと飼料用トウモロコシなら二毛作の作付体系が可能だ。「上手くいけばアルファルファを購入しなくても済むかもしれません」と、その栄養価にも期待している。餌代のコスト削減にも繋がる。すでに昨年、地元JAでは、イアコーンサイレージに対応できる機械を導入し、貸し出す予定になっているとのこと。「実現できれば、京都で一番最初のイアーコーンサイレージの取り組みになるかもしれません」。80歳となった今でも新しいことへのチャレンジが続いている。
またさらなる規模拡大に関しては、後継者次第ということになるが、「フリーストールを建てて、100頭位までにして規模を拡大したらどうかという話もありますが、地域で飼料が賄えるのが適正規模だと私は思っています。この中山間地の狭い場所で牛をどうやって飼うか。どうやって経営を成り立たせるか、その方法を見極めなければなりません」。その地域と現状から導かれる最適解を探っている。その中には山﨑牧場の存続と地域の持続が含まれている。
酪農を続けることで地域を守っていきたい
「2004年の台風で山が崩れ、土砂で牛舎が埋まる大きな被害を受けました。その時は本当にめげてしまって、酪農を辞めようと思いました」。その気持ちを思い止まらせたのがすぐに駆けつけた地域や関係先の人たちだった。「再開に向けて助けてもらいました。辞めるわけにはいかないと思いました」。だからこそ酪農を続けることで地域を守っていきたい思いがある。
食料安全保障の観点からも地域農業を持続することは大きな意味がある。「ここは中山間地の狭い場所ですが、戦後の食料難の時代は車が入れない谷間も田んぼにして人の力で米づくりをしてきました」。自分たちが食べるものは自分たちでつくる。その強い想いが国を支えてきた。それから時代が変わり、世界が身近になり、必要なものを海外から安く調達できるようになったが、それが今、新たなリスクとなっている。国際情勢や気象の変化が食の調達を不安定にしている。世界人口の増加という構造的問題もあり、もう一度自給力を取り戻す必要がある。今なお営農を続けるベテラン農家の眼差しに背中を押される気がした。