異常気象が常態化し、人口が増え、社会の格差が広がり、資源を消耗し、環境に及ぼす負荷が大きくなる中で、「持続可能でより良い世界を目指す」としてSDGsが採択され、農業も重要な役割が期待されている。それほど遠くない未来、100億に近づく人口を視野に、食糧難の危惧を踏まえ、生産力の増強を、気候変動への対応、生態系の維持、環境負荷の低減を図りながら実現しなければならない。
国内農業においては、携わる者が減少していく中でその持続性を確かなものにすることが求められている。それは近年取り組んできた農業を成長産業にしようとする動きと重なる部分が多いが、SDGsはそれに、環境保全や、資源循環、気候変動への対応が加わる。ハードルは益々高くなっているようにも思うが、なんとしても乗り越えたい。世界が絶望で覆われることがないよいように。有機農業の生産現場からハードルを乗り越えるヒントを探る。(記事内の数値・状況は2021年4月現在)
有機の“ほんまもん農産物”で地域活性化
有機農家が集積する“有機の里うすき”
SDGsの達成は簡単なことではないが、それをさらに難しくしているものがある。“誰一人取り残さない”という志だ。この美しく尊い思いがあるからこそ、多くの人が惹き付けられ、積極的に取り組む意義を生み出すことにもなるのだが、この言葉は重い。言ったからには単なる心掛け程度のものとしてはならないはずで、行動を左右する一つの規範ともなるべきものだ。様々な取り組みにおいてここへの配慮を怠ってはならない。では、どうやってそれを果たすのか。誰一人取り残さないということは、言い換えれば“最も弱い者が生き残っていける”ということだ。その方法を考えなければならない。100年先も弱い者が生き残っていける方法を。
日本においては農業の持続性を確保するために、成長産業にしようとする方向で様々な方策が進められている。規模拡大によるコスト削減、輸出などの販路開拓、ブランド化などによる高付加価値化、6次産業化による収益機会の拡大、農泊などの観光事業化などなど。その中で、SDGsの精神に照らして日本農業の持続を考えるなら、規模の小さな農家が生き残る道もまたしっかりと探らなければならない。そこで一つの試みとして有機農業がある。
小規模農家であっても生産物に付加価値を付けることができ、また、資源を収奪することなく、環境負荷を抑え、生態系の維持にも繋がる。ただ慣行農法に比べると誰もが簡単に取り組めるというものではなく、ある程度の修練や労働負荷に対する覚悟、経営的な課題も抱えている。
今回お訪ねしたのは大分県臼杵市の野津地域。山間にあって、農業が主産業として営まれている。その中で存在感を放っているのが有機農業だ。“有機の里うすき”として有機農業を営む生産者がこの地域に集積している。
令和2年の実績で、同市認証の有機農産物を生産する農家が58戸、有機農業生産法人が7社、その他の有機農業生産者が10戸、耕地面積にして88haの規模となっている。「この規模で集まって有機農業を行っている所を私は知りません。車で少し行けば知り合いの有機農家がいて、困っていることについて相談できるという環境は珍しいのではないでしょうか。それがこの地域の一番の特長です」。地域で有機農業を推進する協議会の会長を務めている藤嶋祐美(63歳)さんに話を聞いた。“未来の臼杵に、安全・安心な野菜を残していきたい”として設立された『うすき未来の食卓』の代表も務め、有機農産物の生産と販売を行っている。
青空市“ひゃくすた”で“ほんまもん農産物”を販売
有機の里うすきで、大きな役割を果たしているのが“ほんまもん農産物”。有機JAS認証規格を基本に栽培されたもので、化学肥料と化学合成農薬の使用を避け、臼杵市が独自で認証し、金色の“ほ”の字のマークをラベルに、他の農産物と差別化している。販売している場所はJA直売コーナー、地元スーパー、各直売所の他、学校給食などにも利用されている。また、ほんまもん農産物生産者の主催で“ひゃくすた(百姓New Standard)”と呼ばれる青空市を月一回開催し、直接消費者への販売も行っている。
藤嶋さんは、完全無化学農薬・無化学肥料の農産物を生産し、大分市内にある地元百貨店のインショップで付加価値のある農産物として評価を得ながら、それに見合う価格帯で販売している。
また「ふるさと納税の返礼品として野菜セットを送ることも多いですね」。臼杵市のふるさと納税は年々実績を上げており、平成30年度の約3.6億円が令和元年度には約8億円となり、その内2割ほどが有機農業に対する納税となっている。同市の有機農産物に対する評価が表れている。また、「返礼品を気に入ってもらうと個人宅配の注文などに繋がっていきます」と、販売の機会を増やすことにも繋がっている。
有機農産物は市場出荷には向かない。慣行農法による農産物と一緒にされると付加価値が価格に反映されなくなってしまう。しっかりと評価してもらえる販売ルートを確保することが有機農業を成功させる重要な要素だ。しかし現状、地域のほんまもん農産物全てが、満足できる価格で取り引きされているわけではなく、一般量販店向けでは、消費者の選択基準はやはり価格に重きがあり、その中では一般農産物と十分差別化した価格では売りきれない。それらを踏まえ、「福岡県あたりに、ほんまもん農産物のアンテナショップなどが展開できればいいなと思っています」と、直営直売所などが模索されている。現況の販売展開では昨年から新型コロナウイルスの影響があり、イベント販売の減少と、それをきっかけとして始まる個人との取り引きや、レストラン向けの出荷が縮小している。
“うすき夢堆肥”で健康な野菜を育てる
少量多品目生産で珍しい野菜も手がける
藤嶋さんは元々東京で働いていたが30年ほど前にUターンし、地元で、有機農業を始めた。最初は自家用に栽培を行っていたが、次第に販売を行い専業となった。「誰かから学んだというわけではなく、試行錯誤を続けて」今のスタイルに至っている。現在圃場は10枚ほどに分かれて合計約70a、60品目ほどを生産する少量多品目栽培で、「四季に応じた旬の野菜を中心に、ビーツやロマネスコ、イタリア野菜など、市場ではあまり見かけない珍しい野菜も生産しています」。
その中で生産されるものは野菜本来の味がするという。慣行農法が広まる前の、昔の野菜の味、ということだろうか。慣行農法でつくられたものを養殖物と例えるなら、自然の中で育つ天然物と言えるかも知れない。「冬場のニンジンは明らかに味が違います。ほうれん草もえぐみがなく、生で食べることができ、栄養価も高い。野菜嫌いの子供でもこの野菜なら食べられるという話を聞きます」。
「何をつくってもうまく育つ土」
栽培の特長は“うすき夢堆肥”を使っていること。2010年に開設された“臼杵市土づくりセンター”でつくられたもので、剪定枝や間伐材、農産物残渣などの草木類を8割、豚糞を2割合わせて、6ヵ月掛けて発酵完熟させる。畜産排泄物を主にした動物性の堆肥と比べ窒素分が抑えられ、森の中の腐葉土のような仕上がりになる。「過剰な栄養にならず、土中の微生物を増やしたり整えたりして、作物が健康に育ちます」。地元で有機農業を展開する生産者と相談する中で、栄養型の堆肥ではなく土づくり型の堆肥が指向され、これが有機の里を推進する力となっている。市内に圃場を持つ生産者は、5000円/tで購入することができる。
「反当たり2tを目安に投入しますが、土の状態を見ながら、ほぼ土ができ上がっている所には無理に入れません。赤土など条件の悪い所では多めに入れます。目指しているのは特に手を入れずに、何をつくってもうまく育つ土です。病気の心配はあまりないですね。虫には結構悩まされますが」。最初の生育はゆっくりとしているが、根がしっかりと育ち、後から成長のスピードが増し、生育期間は慣行農法と変わらない。
持続性を実現するために課題に挑む
地域おこし協力隊として地域外の人材を積極的に受け入れ
誰でもどこでもその価値の評価が等しいというわけではなく、人によって、場所によって、選択する理由としては弱いとされ、十分な価格が形成されない。そうなると、手間暇掛けた分のコストが割り込んでしまうことになる。向き合った時間、掛けた手間、コストに見合う価格を常に得るための方策が求められる。一つは販売ルートを選ぶこと。有機農産物を高く評価してくれる消費者が購入する場に商品を届ける方法がある。生産者が手づから販売する直売場や品質重視が予め織り込まれている百貨店、あるいは生産者に価格形成力があるネットや個人取り引きなど、この地域でも既に行われているが、これらのさらなる拡大が模索される。さらにその上を目指すなら、誰でもどこでも高い評価を得ることができるようにしなければならない。
ブランド力を強化するということだろうか。“有機農業”の、あるいは“有機の里うすき”の価値を明確化する必要がある。臼杵市がある大分県ではその港に、関アジ、関サバといったブランド魚が水揚げされる。豊後水道のひときわ狭くなった豊予海峡で穫れるそれは、天与の自然環境が育んだ天然物の逸品として評価され、高価格で取り引きされる。一般のアジやサバとは明確に異なる地位を築いている。それほどの違いをこの有機農産物でも出すことができるのなら、これから行く道は明るく照らされるのではないだろうか。また有機農産物における課題の一つとして、虫の被害があり、「100個植えて、100個収穫するということにはまずなりません」。出荷できない規格外品について、今、乾燥野菜などがつくられているが、野菜ジュースなどの展開も検討されている。
持続性を考えるなら、これらの経営課題に加えて、高齢化の問題も大きく、避けては通れない。幾ら特色のある農業をしていても少子高齢化が社会全体で進む中で、農業従事者の高齢化もまた進んでいる。地域農業の存続にとって最も大きな危機とも言える。若い跡継ぎを得て世代交代が進んでいくという状況にはない。そこで同地において期待されているのが、地域おこし協力隊だ。地域外の人材を積極的に受け入れ、3年間の活動が終わった後に定住へと進んでもらうことを目指していて、臼杵市では有機農業を活動対象に、有機農業隊員として採用している。
30代を中心にして、「今5期生で8人が在籍し、これまで3人が卒業しました」。地域生産者のアドバイスを得ながら実践的に有機農業を学び、卒業後は地域に定住し、ほんまもん農産物の生産に従事している。この春卒業の佐藤敦子さんは、「大阪から来ました。こちらに定住しようと思っていて、地域の人と結婚し、子供が生まれます。美味しい空気を吸いながら、自分でつくった野菜で料理をして暮らしていきたいなと思っています」。若者の定住は地域に明るさと活力をもたらす。
有機でつくる味わい深く瑞々しい野菜を100年先の食卓へ
さらに持続性を脅かしている問題として異常気象の頻発がある。「気象条件が非常に不安定で極端です。毎年変わっていきます。豪雨があったと思えば、1ヵ月以上雨が降らなかったり、今年も桜が10日以上早く咲いてしまって、今までの経験にないことが起こっています」。それらについて、明確な対策を施すことは難しい。「いつ、どこで、どんな気象になるのか予測ができないので、有効な対策が立てられません」。豪雨に備えれば、今度は逆に雨が降らなかったり、当たり外れで対策をしているようでは、とても安定した農業とは言えない。
藤嶋さんは栽培において多品目生産を行っているが、「雨が多いと、雨を好まない野菜のできは悪くなりますが、雨を好む野菜もあり、それを同時につくっておけばバランスを取ることができます。何かがだめでも他のもので補えるように考えています」。それが一つの対策になっている。また地域のほんまもん農産物全体でも「気候の変動などでなかなか計画通りにいかず、収穫量の波ができてしまいます。それを産地に農家数が多いという利点を活かして調整できればと思っています」。生産者の集積が力になる。
農地が狭く比較的小規模な農家が多い中でその生き残りを図るため、まずは有機農業の実践で付加価値を付け、それを個人だけで展開するのではなく、集積し互いに繋がり合うことで大きな力へと転換していこうとしているのがこの地域だ。販売面のボリュームで存在感を出すことに加えて、“有機の里うすき”として一体感を持ち、例えば「農業体験ツアーを組み、都市圏から受け入れることができれば面白いと思っています」というようなアイデアもある。農業そのものを価値として、交流人口の増加に繋がれば、地域に活気をもたらすことになりそうだ。販売などにおいても新たなチャンスを生み出すことになる。
100年先、私たちの、いや私たちの子孫の食卓には一体どのような野菜が上っているのだろうか。ひょっとしたら味気ない、合成の栄養補給食品なんてものに取って代わられているかも知れない。しかし今、SDGsを意識して足下を見直し、その向かう先を定め直していくのなら、小さくて弱いながらもしっかりとした価値を提供する農家が生き残り、味わい深く瑞々しい野菜を生産し続けることができるかもしれない。そういう野菜が100年後も食卓に上る世界を夢みたい。だから考えたい。弱くても生き残る方法を。持続性を確保するための課題は少なくないが、それに挑戦する取り組みがあり、100年続く農業のヒントがそこにあった。