新型コロナウイルスの影響で対面による販売やサービスを行う事業が深刻なダメージを受けた。その中、密閉、密集、密接の3密を避けるものとしてインターネットが様々な場面で代替機能を果たし、遠くに離れていても仕事ができ、コミュニケーションが図れ、大きな力となった。インターネットを利用した取り引きも大きく伸張。農業でも農産物の“お取り寄せ”などが伸びている。コロナ禍により給食や飲食店などへの販路を失った農家がそこに活路を見いだした事例も少なくない。
しかし、ただホームページをつくれば売れる、産直サイトに登録すればうまくいく、というものでもない。商品の魅力を高め、広大なネットの中で見つけてもらう工夫が必要になる。どうすればうまくいくのか。ネットを使った農産物取り引きの可能性を探る。(記事内の数値・状況は2020年7月現在)
家庭菜園から専業農家へ
コロナ禍、ネット取り引きをしていなかったら悲惨な状況に
今回訪れたのは兵庫県の丹波篠山市。兵庫県中東部にあり、豊かな自然と古い町並みが今に残る。丹波篠山黒豆・黒枝豆や丹波篠山山の芋、丹波栗、丹波松茸、丹波篠山茶などの特産物が産出され、農業が盛ん。大河ドラマなどにも登場した明智光秀がその生涯で大きな岐路をむかえる丹波平定の舞台でもある。その同市の今田町にあるのが丹波篠山ひなたファーム。「私たちの町は土に関係する産業が多く、農業と陶芸が盛んです。また、温泉もあります」と、代表の杉尾行紀さん(43歳)。地元の丹波焼きは日本六古窯のひとつで、800年以上も受け継がれ、町を行けばあちらこちらに登り窯を見ることができる。そんな地元の魅力と共に、ネットを活用した農産物取り引きの実際を教えてくれた。郷土に対する愛があり、地域の活性化を視野に入れながら農業に取り組んでいる。
大都市の喧騒から離れたこの地でも新型コロナウイルスの影響はあり、「直売所が2ヵ月近く閉まっていて、飲食店への出荷もなくなりました。市場出荷はしていませんので、ネットでの取り引きをしていなかったら、多分今頃、悲惨な状態になっていたと思います」。リアル店舗での販売は激減したが、ネットを通した注文がそれを補った。「通常以上にネットが動きました」。杉尾さんが展開するのは特産物の丹波篠山黒豆・黒枝豆(1.5ha)を始めとして、ぶどう(フジミノリ・紫玉、12a)、米(コシヒカリ、1ha)、季節の旬野菜(ピーマン、ナスビ、トマト、タマネギ、ニンニク、ズッキーニなど)、鶏(40羽)の卵など。その中でも日々の食卓で使われる野菜セットなどが売れた。
しかし、ただネットに出せば売れるというわけではない。新型コロナウイルスという特異な状況があり、全体としてネットの取り引きが盛況となったが、選ばれるにはそれなりの理由がある。例えば、「今から13年ほど前、ネットで野菜を販売したいと思って様々なネットモールに有料で登録しましたが、売れませんでした。誰がつくったか分らない野菜のセットなんて買ってもらえませんでした」と、ただ登録すれば良いだろうというような試みは失敗する。これで一旦、ネットからは撤退した。
接客業のアルバイトで、コミュニケーション能力を高める
杉尾さんが農業に関わり始めたのは15年ほど前のこと。と言っても最初は家庭菜園のレベルだった。「ここは実家なのですが兼業農家になっていて、私も地元を離れて勤めていました。帰ってきたのは28歳の頃で、地元に就職し、最初は家の前の畑でダイコンなどを育てていました」。しかしつくってみると家で消費する以上の分ができる。そこで直売所に持って行って並べてみた。すると「つくった野菜が売れる。そのことに感動しました。それで徐々につくる面積を拡大し、アイテムも増やしていきました」。農業技術は、見よう見まねと青空野菜教室や書籍での知識。後は実践あるのみで、畑で試行錯誤を繰り返した。そして2009年には農業を本業にし、丹波篠山ひなたファームを設立した。
「勤めを辞めて田んぼをすると言い出したので家族全員が反対しましたが、中古農機を買って、夜は飲食店でアルバイトをしながら始めました」。この時のアルバイトの経験は農業にも役立っている。接客業としてお客さんの気持ちを知ることが売上向上に繋がると身をもって体験し、農業でも消費者が何を求めているのかを知ることに関心が向かった。行商に行き、直接買い手と接し、コミュニケーションを深めていった。また利益がすぐに上がるという状況ではなかったが地域の若手農家としての役割もあり、高齢化した農家の圃場を引き継いだ。「ぶどうを長年つくってこられた方が、80歳になって、もう膝も痛いし、しんどいから頼むということで」。これまでの作物を続けながらで、作業負担が大きくなったが、これが収益に貢献した。ぶどうの季節になれば国道沿いに看板を出して、直売を進めていった。
ネットに向き合いECを学ぶ
生産技術をアップさせ、無農薬のブドウを展開
アルバイトをやめ、農業だけで食べられるようになったのは2015年ぐらいから。消費者目線の取り組みを行い、それと共に栽培技術も進化させていった。「最初は何も知らなくて、無農薬が最善だろうと思って取り組んで作物をボロボロにしたりしていました。そのうち慣行農法を覚えて成果を出しましたが、オーガニック系を扱う量販店の経営者などと出会い、自然農法に興味がわき、普及所の人にも教えていただきながら、色々試すようになって、広葉樹の樹木堆肥を使用した土づくりを行うようになりました」。そうすると園地に生える雑草の種類が変わってきた。
「以前は見たことのないような草が生えていましたが、段々、オオバコなど、日本でもよく見かける雑草が生えるようになりました」。作物の状態も変わり、劣果が少なくなり、食味も向上。一昨年からは無農薬のぶどうとなっている。農薬や化成資材に頼らない栽培で、安全・安心、食味の向上を追求している。
その中、ネットでの販売に再び挑んだ。「4年ほど前に、ホームページをつくりませんかという営業があり、過去の経験から売れないと言ったら、今は違います、上位検索にヒットする方法もありますというので、それならやってみるかと始めました」。しかしそう簡単なものではなかった。「インターネットの素人が安易に始めているので、最初の1年間は、ホームページ制作の月々の支払いも厳しいぐらいでした」。そこでネットショップやEC(電子商取引)について正面から向かい合い、積極的に学び始めた。フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどを開設し、人と人との繋がりを増やし、その関わりからECなどに関する商工会などの無料講座などを受講。様々な試行錯誤を行い、知識を増やしていった。
ネット展開し、検索上位を狙い、受注・発送も効率化
SEO(Search Engine Optimization/検索エンジン最適化)と呼ばれる、自社サイトを検索上位にヒットさせる方法を学び、それを支援するシステムを導入。アナリティクスと呼ばれるアクセス解析ツールを活用し、グーグル検索やグーグルマップで自社の概要を表示させるグーグルマイビジネスも導入した。「これは無料のサービスです。日々更新し、MEO(Map Engine Optimization/地図検索エンジン最適化)に取り組めば、検索した時に上位に表示されます」。今、“丹波 ぶどう”とグーグルに打ち込むと丹波篠山ひなたファームの名前が1番に出てくる。それをきっかけとして購入に繋がることもある。購入者にはメルマガやラインアットを使って情報を発信し、ただ待つだけではない、積極的なアプローチを行っている。取り組みがどんどん高度化し、「今、ネットでの調べ物は栽培のことより、ECに関することのほうが多いですね」。
それらの取り組みもあってネットでの販売は順調に伸長したが、受注から発送までを効率化することも求められた。以前のシステムでは、受注メールが来るものの、それが顧客リストに反映されず、手作業でエクセルに打ち直していた。しかも送料が自動的に計算されないため非常に手間がかかっていた。また発送伝票の作成もエクセルデータから書き写すような作業を行っていた。「パソコンの前でする作業が非常に増えました。受発注管理の手間がボトルネックとなって出荷を伸ばすことができませんでした」。今は新システムを導入し、大量の注文もこなし、北海道から沖縄まで出荷している。個別出荷を行う事業形態において、受発注の効率化、自動化をどれだけ行えるかが事業拡大に繋がっていくようだ。
消費者に選択される理由をつくる
産直モールが大きな味方に ラタトゥイユセットなどがヒット
自社のホームページと共に、杉尾さんの売上に貢献しているのが、様々な生産者が出品している産直モールだ。杉尾さんは、食べチョク、ポケットマルシェ、IN YOU MARKETに登録し出品している。一番長く出品しているのが食べチョクで「サイトが立ち上がって1年ちょっとくらいの時に登録しました。当時はお客さんも少なくて、なかなか売れなかったのですが、担当者の方が親身になって出品する農産物を提案してくれたりして、生産者のことを考えてくれていると感じました」。
その中からラタトゥイユセットなども誕生した。当初夏野菜セットとしていたが、ズッキーニなどもあり、イタリア料理のラタトゥイユがつくれることから、食べチョクの担当者が杉尾さんに提案。名称を変更したところ、売上が大きく伸びた。消費者目線の商品提案は生産者にとってありがたいサービスに違いない。産直サイトに出品し、商品が売れれば、メールの通知が生産者に送られ、後は発送するだけ。消費者との決済は産直サイトが行い、入金に関するトラブルもない。商品をアップすれば、購入履歴をもとに商品情報が送信されるようにもなっている。ホームページを自分で運営し、何から何まで行うのもひとつのやり方だが、任せるところは任せ、サービスをうまく活用していくことも有効な方法だ。それは個人事業主である農家にとって大きな味方をつくることになる。
ネットで販売する上で、ライバルは誰かと聞いてみると「安く売っているところです」と答えてくれた。消費者がネットで購入するとき、値段を基準にすることは間違いではないし、そのように選択する人も多い。しかしそれだけでは体力勝負になり、個人の農家が生き残っていくことは難しくなる。「私も、以前は安くすれば売れるからと値段を下げたことがありますが、そうすると、作業がつまらなくなって元気がなくなりました」。生産活力が失われ再生産が難しくなる。
そうならないためには値段以外で消費者が選択する理由が必要だ。そこにしかない特産物であったり、特筆すべき味や未知の食材、あるいは人間的な繋がりなども選ぶ理由になる。他の商品と違う、魅力ある価値をどれだけ提案できるか。杉尾さんが提供する野菜セットは、余所ではあまりない新鮮な卵が付いている、お洒落な食卓を演出するラタトゥイユセットだったりする。土づくりにもこだわっている。数ある中からポチッとする理由がある。
誰がどのようにつくったかの情報が商品の一部となり、付加価値となる
コロナ禍で利用者が増えた。今後はその中からできるだけ多くをリピーターとし、関係を維持しつつ、新たな顧客を開拓していくということになる。杉尾さんのところで購入すると自筆の手紙が添えられてくる。出荷が多いときには自筆をコピーすることになるが、それでも手書きの暖かさが伝わる。「お礼と共にどんな畑でつくられたとか、コロナで自粛していたときは、相手を気遣い、励まし合うような言葉も書きました」。かつてのアルバイトで培ったサービス業の精神で顧客の気持ちに寄り添う発信を行っている。
これからの農業は、情報を、ITも含めて如何に活用するかが重要な鍵になる。販売におけるIT利用から始まって、その上での情報発信の技術や拡散の仕方、情報の更新速度、品質、信憑性の高度化が求められる。また、誰が、どこで、どのようにつくっているのか、そしてその商品にどんな物語があるのか。情報の内容は商品の一部となり、付加価値となっていく。人に情報を伝えること。それは難しくもあり、楽しくもあり、その間に農業が明日へ続く道が見えた。