コロナ禍にあっては家で食事をする機会が増え、その中、冷凍食品など、加工品の需要が好調だ。つくり手の負担を軽減し、買い物頻度を抑え、また外食が提供してきたプロの味や目新しさなどの代替も務める。食卓での存在感を増している。農業の6次産業化にとってもひとつのチャンスだ。インターネットを使ったお取り寄せも伸びており、その中にある6次化商品にも消費者の目が向かう。
しかし、どんなものでも売れているというわけではない。消費者の選択はいつも厳しい。どんな魅力が提供できるのか。何度でも食べたくなる味か、初めての驚きか、その土地の郷土色か、生産者のこだわりか。チャンスを掴むための方策を、京都市上賀茂で、京都三大漬物の一つ“すぐき漬け”の生産を手がける農家を訪ね、伝統的でありながら、今も古びない取り組みに探る。(記事内の状況・数値は2021年6月現在)
守り継がれてきた伝統の味
農家がつくる漬物は古くからの6次化商品
農産物を生産者が自ら加工し販売する6次化は今に始まったわけではなく、農家がつくる漬物などは古くから貴重な収入源になってきた。食卓では脇役ではあっても日本の食生活には欠くことのできない地位を確立しており、漬物の市場規模は約3200億円に及ぶ。今では専業の漬物メーカーでつくられた漬物がスーパーの棚に並び、上位10社で40%のシェアとなっているが、生産者がつくったものを仕入れて流通にのせる場合や、全国流通させずに、昔から地域で親しまれてきたものを地域の生産者が加工・販売しているケースもあって、農業の6次化として大きな存在感を持っている。
その漬物はそれぞれの地域で独自の進化を遂げ、全国に多種多様な種類があり、その地の食文化とも密接に関わっている。秋田のいぶりがっこ、東京のべったら漬け、長野の野沢菜漬け、奈良の奈良漬け、福岡の高菜漬け、鹿児島の壺漬けなどなど。その中、今回は京都の漬物に焦点を当てた。賀茂ナスや聖護院かぶら、壬生菜などの京野菜を使って様々な漬物がつくられているが、その中のひとつ、“すぐき漬け”は千枚漬け、柴漬けと並ぶ京都三大漬物に数えられ、伝統的に生産者がそれぞれ家の味で加工を担ってきた6次化商品だ。
材料となるすぐきはカブの一種で、漢字では“酸茎”とも書かれ特有の酸味があり、別名すぐき菜とも呼ばれる。白く肥大した根の無分は長さは20㎝程度で大根を短くしたような円錐形をしており、その根から茎葉が大きく伸びているのが特長。起源は桃山時代ともいわれ、上賀茂神社の社家(神職の家柄)の間ですぐきの栽培が始まったとされている。江戸時代になるとすぐき漬けは上賀茂の特産漬物になり、御所をはじめ、上層階級への贈答品としてとして扱われるようになる。その後上賀茂の狭い地域に限って一般農家での栽培がはじまるが、文化元年(1804年)には、当時の所司代から「すぐきはたとえ一本といえども他村へ持ち出すことを禁ず」とのお達しがあり、それが今日まで守られてきた。
すぐき漬けは農家それぞれの味があり、商品力を失わない
その生産地の上賀茂は京都市北区にあり、宅地化が進んだ現在も都市近郊農業を展開している。そこで農業を営んでいるのが八隅農園の八隅真人さん(40歳)。70aですぐきを栽培しすぐき漬けをつくり続けている。「すぐきを漬けるのは農家の仕事です。漬け込み方法も昔から門外不出でした」。奥様の久子さんにも同席いただき、長い歴史を持つ6次化商品を展開する農業について聞いた。
八隅さんは上賀茂で代々農家を営む5代目。労働力は夫婦と両親、繁忙期にアルバイトが3名の他、すぐき漬けの仕込み時期にはさらに4〜5名のアルバイトが加わる。すぐきは8月末から播種が行われ、11月の初めに収穫が始まる。収穫されたものは漬け込み作業を行うすぐき小屋に運ばれ、面取り、皮剥き、荒漬け、本漬けが行われる。それが終わるとすぐきを加温した室に入れ、乳酸発酵を促す。それにより、独特の酸味を持ったすぐき漬けができあがる。
「すぐきは塩だけで漬けます。その塩加減や室の温度、時間などは誰にも口外されることなく親から子へと受け継がれてきました。そのため農家毎に味や風味が変わってきます。すぐき小屋に住み着いている乳酸菌の違いもあるかもしれません」。それぞれの農家の味があり、たやすく真似ができないものとなっている。京の定番の漬物として、食卓に確固たる地位があり、長い時を経て今もなお、商品力を失わない。
秋から冬のすぐきが終わると、京都のおばんざいを支える京野菜の代表的存在である賀茂ナスをはじめ、賀茂トマトなど様々な野菜を生産している。「上賀茂でつくられたトマトは賀茂トマトと呼ばれて、京都市内では昔から人気のあるトマトです。地域で切磋琢磨して、栽培技術の情報を交換しながら、さらに味の良いトマトとしてブランド力の向上に取り組んでいます」。八隅農園では、有機肥料の土づくり、灌水量の工夫を進め、「味に自信のトマト」が栽培されている。
振り売りで消費者の声を聞く
確かな需要があり、台所を支えるシステムとして機能
上賀茂は京都市の中心部まで、車で30分も掛からない。その立地を活かして八隅農園では生産物の直売が行われている。都市近郊農業として鮮度の高い野菜を提供できる場にあり、わざわざ市場を通して消費者に渡るまでに時間をかけるのはもったいない。すぐき漬けは漬物店へ卸されるものと直売用のものがあり、季節の野菜と共に、飲食店や一般消費者のもとに赴く行商のスタイルで販売している。この方法は古くからあり、振り売りとも呼ばれ、農家が収穫した農産物をかごに入れ天秤棒を振り担いで売り歩いていたもので、京都では薪を売る大原女や花を売る白川女など、地域名をつけて親しまれてきた。現在運搬手段は軽トラに進化したが、生産者が流通部分も担い、消費者の元に届けるスタイルは変わらず、京都の中心部などではまだ需要があり、台所を支えるひとつのシステムとして維持されている。
「振り売りは母が今も続け、私と妻も7〜8年前から始めました」。初めての場所では、そう簡単には売れないが、それでも決まった時間に決まった場所に行くことを続けることで、少しずつ信用が生まれる。「徐々に買っていただいた方から、次のお客さんを紹介していただけるようになってきました」。さらに口コミも広がり今では多くの固定客に支えられている。「自分達で販売すると、味をお褒めいただくこともありますが、そればかりではなく、この前のものは美味しくなかったとか、厳しい指摘を直接受けることもあります。採点は本当に厳しいです」。その言葉を励みに、あるいは反省にして、自身の農業を改善している。また今まで栽培していなかった新たな野菜にチャレンジするきっかけにもなっている。
振り売りは消費者同士をつなげるコミュニティーの場にもなる
「今は一般的になってきましたが、この地域で一番最初にズッキーニを栽培したり、京都ではあまり栽培されていない落花生をつくったりしています」。ズッキーニは顧客となったイタリアンやフレンチのシェフに要望されたから。落花生はあるお客が、出身地の鹿児島では生の落花生が売っていたと言うのでそれに応えたもの。その他に食用ほおずきなども栽培する。今年からはポップコーン用のトウモロコシにもチャレンジする予定だ。「失敗もありますが、お客さんのニーズに応えていきたいと思っています。少量多品目の栽培ができるのは、振り売りで直接お客さんと繋がっているからこそです」。需要者の要望に応えていくことで、さらに信頼が高まっていく。
また振り売りは、農家と消費者を繋ぐだけでなく、消費者同士も繋げる。「決まった時間に決まった場所に行きますので、そこで常連さん同士のコミュニケーションの場ができます。一人暮らしのご老人が結構いらっしゃるのですが、その人達がその時間に集まってそこでお喋りされ、買い物されている姿を見ていると、地域のコミュニティづくりに少しは役に立っているのではと思っています」。同じ地域に住んでいても話すことがなかった者同士が知り合い、家に閉じこもりがちの高齢者が外に出るきっかけになっている。食材を販売するだけではなく楽しみを提供することにもなっているようだ。
伝統が農業の持続力に
マーケットインの経営展開で付加価値を高め成長産業にする
八隅さんの取り組みに小さな規模の農家が生き残る仕組みがあると感じた。独自性がある地場野菜や地域では生産の少ない野菜を手がけ、振り売りで需要者の声を直接聞きながら、マーケットインの経営を展開し、すぐき漬けという6次化商品で付加価値を高める。今、農業を成長産業にしようとして様々な施策が行われているが、その多くと重なる。この経営スタイルの大本は古くから行われてきたことだが、今も持続性を強く持つ。伝統的でありながら、これからの取り組みでもあるのだ。
これと対極にあるのが、生産、販売、加工、流通の分断を進めた近代モデルだが、これによって今、規模の小さな農家がこぼれ落ちていく現状があり、近代化の流れの中で、自らの強さを捨ててしまうことになったのではと思える。皆と同じような野菜をつくり、曲がったものは規格外品とされ、役割を狭め、消費者の声から遠ざかり、そこに多くの利点もあったわけだが、知らぬ間に足腰が弱ってしまった。一方、昔ながらの商品や方法を時代に合わせて続けてきたこの地では「私のように後を継ぐ人も多く、京都府内でも若手農家の数は一番多いのではないでしょうか」。農業を持続する上での大きな力がここにはあるようだ
容易に真似することができない確かな商品力がある
もちろん課題もある。現在すぐき漬けを生産している農家は50軒程だが、「体力的にきつい仕事なので減ってきています」。加えて振り売りもスーパー等と直接取引する農家が増え、その数を減らしつつある。さらに認知度向上の問題。「京都に住んでいても若い人だとすぐき自体を知らない人や、食べたことがない人も結構います」。時代の趨勢に押される面も少なくない。しかし、過去から今まで生き抜いてきたのも事実。伝統を守りながらも折々に新しいものを取り入れ、進化もしてきた。PR活動では生産者が集まり、上賀茂神社で漬け込みの実演やすぐき漬けの無料配布を毎年行っている他、旅行会社とのコラボで修学旅行生へのすぐきの皮剥き体験を企画し、SNSを活用して情報発信にも努める。時代の流れは利用の仕方で前に進む力にもなる。
コロナ禍の中、外食が自粛され、食生活に変化が起きており、それは農業の6次産業化にとってもひとつのチャンス。これを掴むためには確かな商品力が必要だが、問題はそれをどのように得るかということ。「以前、ピクルスをつくったことがありますが、それは自宅でつくろうと思えばできるのでさほど売れませんでした。私たちにしかできないもの、その地域でしかできないものが必要だと思います」。ここにヒントがある。すぐき漬けは、その地域と生産者によってのみ生み出され、作物や製法、売り方において容易に真似できないものであり、地域の食習慣となるほどの価値を築くことに成功した。他の地域でも、今一度足下を見直せば、時代の流れの中で捨ててしまったもの、あるいは方法の中に宝があるかもしれない。今、取り戻すべきものがそこに見えないだろうか。