先行きの見えないリスクが多すぎる。ここ数年間は新型コロナが招いた社会活動の分断に対する対応で、ニューノーマルが模索されてきたが、事はそれに止まらず、急激な経済再開はサプライチェーンの混乱を招き、ウクライナ侵攻により食料や肥料の供給が絞られ、引いては飼料価格の高騰にも繋がっている。また異常気象は常態化し、年々悪化しているような気配も有り、生産現場はいつ何が起こるか分からない戦々恐々の状態だ。
その上で、高齢化、後継者不足に歯止めがかからず、日本農業が持続する道は陽の当たる大道とは言えそうにない。コロナが落ち着いたとしても以前の成長戦略にただ戻るだけでは不十分だ。ポストコロナにおける新しい形が求められている。そこで注目したいのが担い手同士の連携。個々の担い手を強化するだけでは、もう十分じゃない。立ちはだかる数々のリスクに立ち向かうには、もはや“一人じゃ勝てない”。リスクの中で進化する農業のこれからの形を追う。
3人の得意を集めて強い会社をつくる
大規模でブランド農産物を生産し、6次産業の展開、卸売業への参入、宿泊業への挑戦
新潟県津南町で魚沼産コシヒカリと野菜の栽培を手がけているのが株式会社 だ。設立は2019年1月。父親の後を継いで農業の世界に入ってきた樋口貴幸さん(45歳)を代表に、土木分野で経験を積んできた藤ノ木洋祐さん(37歳)、東京の会社でマーケティングやプロモーションの仕事に携わってきた瀧澤武士さん(44歳)が取締役となり発足した。今回お話を聞いたのは瀧澤さん。「それぞれが違う分野で働いていた3人で得意を持ち寄ってつくった会社です。樋口が主軸の農業生産を担当し、藤ノ木が農業土木、私が経理や外商、マーケティング、プロモーション、渉外などを担当しています」。現在の取り組みやこれからの展開などについて話してくれた。
今、わずか4年目の会社だが規模拡大に加え、ブランド化、販路の多様化、6次産業化、卸売業への参入、宿泊業への挑戦へと、一般的な担い手が時をかけて発展していく道のりをわずかな期間で駆け上っている。家族労働を中心とした通常の大規模担い手農家とはその姿が違っている。
標高600mでコンクール優秀賞の魚沼産コシヒカリ
津南町は新潟の最南端、長野県との県境にあって、信濃川、中津川、清津川が合流し、地殻変動や長年の河川の浸食によって形成された雄大な河岸段丘が特徴的。段丘面の台地には大区画圃場も広がっているが1年の内5ヵ月近くは雪に覆われる豪雪地帯で、通年を通した農業はできない。ただ水が豊富で標高もあって寒暖差があり、その中でお米のトップブランドである魚沼産コシヒカリが生産されている。またそれと共にアスパラガス、人参、スイートコーンなどが名産で農業は盛んだ。
その中、麓は標高400〜600mで農業を展開し、高齢化が進展する地域にあって規模も年々拡大傾向にある。お米は約30haで「生産のベースは標高600mあたりで、以前は魚沼産コシヒカリの限界地と言われていましたが、温暖化の影響で、品質の良いものができています」。標高差は収穫時期を分散することにも繋がり、規模拡大への対応にも利点となっている。
そんな同社の魚沼産コシヒカリだが、起業初年度の初収穫米が“米・食味鑑定分析コンクール国際大会”で優秀賞を受賞。地域での存在感を増し信用を得ることに繋がった。また「コンクールの時に米づくりに情熱を燃やす各地の猛者たちと出会い、量を追わないつくりかたが正しかったということがはっきり分かりました」と、米づくりの方向性に確信を得た。地域では1反10俵ほども収穫されているが、同社では品質に配慮して8〜8.5俵に留める。その上でさらなる品質向上を図るため、科学的知見に基づいた取り組みを行い、それと共にベテランの篤農家に教えを請い、長年蓄えられてきた経験や感覚を取り入れている。
販売先は一部JAに出荷しているが、メインは卸売業者を通したルート。「年々米価が下がっていく中で、良い品質のものを高く評価してくれる所との取り引きを大切にしています。他のお米と混ぜられることなく、有利販売を行い、価格が下がらない努力をしています」。
旺盛な野菜生産とそれを支える人材力、販売力
地域特産品など9品目ほどを意欲的に生産
野菜は9品目ほど栽培し、スイートコーンは今年14.6haの規模で、“麓もろこし”として展開している。栽培品種はゴールデンタイム、ピュアホワイト、マックコーン。この内ゴールデンタイムが8割で、糖度があり、皮が薄くて食べやすいと主力品種になっている。また生産のしやすさも大きな特徴だ。「虫がつかなく、先端不稔や倒伏もありません。私たちは面積があり、一斉収穫が基本で、発芽が揃っていることも大切です。その中でこの品種に辿り着きました」。今年の収穫は7月20日から1ヵ月間。午前2時から畑に入り、糖度が乗る一番果だけを手作業で1日2万本収穫する。
業者に出荷される分と一般消費者へ個別配送される分があり、共に注文が多くて応じきれない状況となっている。「私たちが手がける作物の中で、将来的な伸び代が一番あるのではと考えています」。特に個別での強い需要が手応えになっている。それに応えるためにも作業の効率化は欠かせない。収穫の工夫ではベルトコンベアを利用したものや、播種ではシーダーテープを使った方法が検討されている。
2月中旬からは人参の収穫用意が始まる。まだ大地は4mほどの雪に覆われているが、その下では人参が収穫を待っている。秋に収穫する人参の他にこの地では、冬を越して春に収穫するものがあり、雪下人参と呼ばれ、甘みや旨味が増し、青臭さもなく、アスパラギン酸も豊富に蓄えた地域の特産品だ。
同社では土木作業部門があり、農業土木に加えて、雪に埋もれた自分たちの畑を除雪する作業を行っているが、自社の畑だけではなく「JAから雪下人参の除雪作業を請け負い、地域の畑で除雪作業をしています。生産者の気持ちがわかる作業で要望に応えています」。
この他、アスパラガス、ズッキーニ、カボチャ、大根、カリフラワーなどを手がけ、種苗会社とも密に情報交換を行い、時々の状勢に応じた作物をさらに数種栽培している。取材時は稲の収穫時期だったが、「それと合わせて大根とカリフラワーの収穫が重なっています」。旺盛な農業活動が繰り広げられている。
人手を企業間連携で確保
通常の経営体ではなかなかここまで手が回らない。時間が無い、人手が無い、技術や知識が無いと、展開領域を絞りがちだが、麓では無いものを調達してくる強い力がある。
まずは労働力だが、経営者3人と社員8人に加えてパートが約30人の体制。その中にはスポーツ用品店から派遣されてくる働き手もいる。その店はウインタースポーツをメインに扱う事業を展開しており、シーズンが終われば農作業現場で働いてもらう業務委託契約を結んでいる。現場では直進アシスト機能を搭載したトラクタも導入しており、「新入社員や経験の浅い働き手でも、畑を綺麗に仕上げることができます。今まで任せられなかった人にも任せられる」と、人材の確保、有効活用が図られている。
積雪のある時期は除雪事業を展開する企業と契約し除雪作業への出向で通年雇用を維持。また、出荷作業などにかかる仕事をしている人にはパッケージ業務の受託などを進める。
卸売り事業を引き継ぎ、独自販路を展開
販路はJAとも取り引きしながらメインは独自ルート。量販店との契約や個別販売(米、雪下人参、アスパラガス、スイートコーン)、これに加えて、2022年の5月からは卸売事業業も展開しており、ここを通じた出荷を行っている。麓では元々、地域にあった卸売業者と取り引きを行っていたが、そこの観光部門がコロナの影響を受けていたこともあって卸売り事業を手放すことになり、それを麓が引き継ぐことになった。
同事業者は長年地域生産者にとって重要な販売ルートを務めており、「規格外の加工用となるものも、しっかりと売り先を確保し、無選別での受け入れを行っていました」。この販売ルートを無くすのは自分たちにとっても地域農家にとっても大きなダメージになるとし、事業を引き継ぐことになった。またそこで働いていたスタッフも引き受けることで、ノウハウを取得し、新たな力になっている。これらのルートの他、SNSを通じた注文や郵便局のカタログ販売などを行っている。ECサイトは準備中。
担い手間連携で足りないものを補い強化
連携で気象リスクを分散
麓が引き継いだ卸売り事業には、以前からその販路を使っていた生産者が引き続き出荷し、この生産者を中心に約15名の“苗場山麓生産グループ”を結成している。これが今、麓が進める担い手間連携の中核になっている。
まずグループ内で生産される農産物は、その一部で、同じ品種を同じ生産方式で栽培し、出荷のボリュームアップが図られている。またこのボリュームが異常気象への対応にも繋がっている。「今年、人参を播いた時には、スコールのような激しい雨に打たれ、深刻な発芽不良になり、違う作物を播き直すことになったのですが、その時でも、私たちとは異なる台地で生産していたグループの方は全く影響を受けていませんでした」。河岸段丘という特異な地形もあって、同一地域内で異なる気象条件となることもあり、気象リスクを緩和する一つの方法になっている。同じ種を使い、同じ生産方式で栽培し、その上で、品質を揃えていくことに大きなメリットがある。
また、耕作地が分散し移動距離もあることから、「同じ作物をつくっている同じ生産グループで、こちらのエリアは私たちが防除作業をするので、そちらのエリアはより近いグループ内のメンバーにお願いしています」。移動にかかる時間を減らし作業の効率化に繋がっている。この他、作業スタッフを融通しあったり、有機農家に草むしりの人手を出すこともある。
連携は品質向上にも大きなメリット
品質向上のための連携もある。畑作で大きな課題となるのが連作障害の回避だが、それを行うための農地のローテーションでも有効に働いている。「段丘の台地に大区画の圃場を持っている百合農家さんと私たちのグループの方との間で、うまく農地が回せるようになりました。また今年新しく借りた所では豆農家さんと農地を交換しようという話になっています」。
さらに技術的な連携もある。麓はどちらかというと野菜の生産をメインにしており、その分手薄となるお米の生産において、こちらをメインにしている農事組合法人の力を借りている。「その法人はお米の検査員の資格をもっていて、私たちの所にその法人の第2検査場を設置してもらっています」。
連携することで一番大きなメリットになっているのは「情報交換の部分です。企業間連携の核はまさにこの部分じゃないでしょうか。私たちは最初の3年間、苗づくりに失敗したりしましたが、見学や色々なことを教わり、知識がどんどん増えています。品質は毎年上がっています。野菜づくりではこちらから知識を提供することもあって、とうもろこしの収穫では私たちの方法が広まっています」。
ハード、ソフト両面において、互いに足りない部分を補い合い、個人で到達するには長い年月がかかるだろう場所へと、駿速の歩みを見せている。「津南町では農地の集約も進められていますが、辺鄙な場所もあり、それらの農地をグループで全体的な管理ができればと思っています」。
農業生産を中核に前へ前へ
加工品をつくり、駅ナカ食堂を運営し、コインランドリーも
連携を力に様々なリスクと闘い、前へ前へと進んでいるが、その中で6次産業化などにも積極的で、例えば人参ジュースにも力を入れている。“京くれない”という品種を雪下で越冬させたものは、リコピンが通常の20倍にもなり、抗酸化作用が強く、付加価値の高いジュースとして期待の商品(雪くれない)となっている。
また飲食施設としてJR津南駅に直営の店を2022年1月からオープンしている。お弁当の仕出し配達から始まり、現在は食堂として運営されている。こちらでは麓で収穫されたお米と野菜、地域のブランド豚(妻有ポーク)などを使用し、旬と地域の味が楽しめるメニューを展開している。
さらに麓に作業を委託していた生産者が経営していたコインランドリーを引き継いで運営もしている。そこでは空調のある室内でコインロッカー式の野菜自動販売機を設置し、非接触型の販売方法として展開している。
地域資源の素晴らしい景色、豪雪も活用
そして新たな事業としてホテルの経営にも乗り出そうとしている。「起業した年から、宿泊業に携わりたいと思っていましたので、物件を探っていたのですが、スキー場の一角にある企業の保養所施設を入手することになりました」。自分たちの食が提供できる新たな場所となる。様々な利用方法が想定されるが、例えば町で新規就農者を受け入れるとき、お試し期間の宿泊施設ともなるし、ワーケーションの場所としても適している。「住んでいると気がつかないのですが、外から来た人には分かる、何も無いことの贅沢さがそこにあります」。新しい時代の価値とも言えそうだ。
更なる企画として雪室貯蔵施設の建設がある。SDGsへの参画であり、低温・高湿の自然な貯蔵方法で旨味などが増し、農産物の付加価値創出に繋がる。合わせてその地で飲食スペースや直売所も設けられればとの思いもある。自社やグループの作物だけでなく、地域の農産物、あるいは畜産物やお酒を受け入れ、また県内で冬場積雪がない地域の農産物を受け入れることで冬場の仕事にもなると構想は広がる。
担い手の連携が大きな力を生む
麓の事業展開は農業生産の枠に捕らわれず自由な発想で進められている。会社設立時に株式会社を選択したのもその自由さを失わないため。最初は家族経営を中心にした農業に限界を見たことで組織化が始まった。「家族経営で一家の主が倒れたら、もう家庭の崩壊までいってしまいます。そういうのを肌身で感じていました」。農業を持続するために生まれた組織体は、多様な人が集まることによって、より時代に対応した力を持つようになった。
さらに担い手間の連携を組むことで、足りない部分を補い合い、強化し、リスクに対する耐性を発揮している。また仲間内で切磋琢磨することにもなり、個も強くすることにも繋がっている。
個々の農業経営体が力をあわせることは今に始まったことではなく、以前なら農協という強いモデルが力を発揮していたが、多様なリスク、先の見えない状況に囲まれる中で、もっと柔軟に時代に対応することが求められようになってきた。その脅威は巨大で、横並びでゴールテープを切るような方法では太刀打ちできなくなっている。個々がチームの一員として力を発揮しながら、また学びながらチーム力を向上させ、リスクと闘う事が求められている。そこまでしなければ道が開かれないことに戸惑いを覚えるけれど、今、我々を取り巻く状況でもある。ポストコロナの時代に、農業が向かう進化の方向がそこにあった。