農業の持続性を図るために各地で様々な取り組みが行われている。その一つが6次産業。1次産業に2次、3次と重ね、収益性を高めていく。付加価値をつけるほどに物の値段が上がっていく仕組み。加工技術、プロモーション、販売労力、一つの商品に智恵と労力、手間と時間が集約され、価値の総量が対価に反映されていくわけだが、それだけではなく価値の集積はやがて物に個性を持たせ、均一性から離脱させることにもなる。
ダイヤの原石は磨かれ、削られ、運ばれ、華やかな街の煌びやかなショーウィンドウに並び、あるものはティファニーの指輪ともなって抜きん出た存在になる。牛皮はバーキンの鞄になり、カカオはゴディバのチョコレートになる。そんなことが6次産業で行えれば、多くの利益を産み出し夢は大きい。今回の主役はワイン。例えばブルゴーニュのロマネ村で収穫されたブドウはロマネ・コンティと呼ばれるワインになり、1本は100万円を超える。夢を形にする本気の6次産業を探る。(記事内の数値・状況は2019年5月現在)
脱サラして、農家になって、ワインを造る
長野県は良質なワインの生産県
今回お訪ねしたのは長野県須坂市。長野県は気候や土壌がワイン用ブドウの栽培に適し、日本を代表する良質なワインの生産県。ただ、産業としてはまだまだ発展過程にあり、県では“信州ワインバレー構想” などを策定し振興を図っている。地域別にみると、塩尻市を中心にした桔梗ヶ原ワインバレーや松本から安曇野に広がる日本アルプスワインバレー、北信州、千曲川周辺の千曲川ワインバレー、中央アルプスと南アルプスの間に流れる天竜川周辺の天竜川ワインバレーなどがある。
桔梗ヶ原の地域は、老舗のワイナリーを中心に新規の小規模ワイナリーが増え、日本のワイン産地の先進地でもあり、欧州系ワイン用ブドウのメルローを県内に先駆けて根づかせた地域でもある。千曲川の地域では水はけの良い土壌がワイン用ブドウの栽培に適し、東御市や高山村がワイン特区として認可され、小規模事業者の酒類製造免許取得が可能で、地域振興も含めた積極的な展開が行われている。長野県のワイナリーの数は50を超える勢いで、ワイン用ブドウの生産量は日本一。
その中、千曲川ワインバレーに位置する須坂市で事業を展開しているのが“楠わいなりー㈱”。「県内で25番目ぐらいの設立でした。それからしばらくして急激に増えてきましたね」と同ワイナリーで代表取締役を務める楠茂幸さん(61歳)が、情熱を傾けるワイン造りについて教えてくれた。
自分のやりたいことが全部そこに詰まっていた
楠さんは高校まで須坂市で生活してきたが非農家出身。大学を経て商社、航空機リース会社と20年ほどサラリーマン生活を送り、「シンガポールにも10年ほど駐在し、旅客機のリース事業に携わっていました」と農業とは無縁の生活を送っていたが、「外国での仕事は会食でワインを飲む機会も多く、非常に興味を持つようになり、色々勉強している内に自分でブドウを栽培して、ワインを造りたくなってきました」。それで40歳を過ぎて脱サラし、この世界に一歩足を踏み入れた。
元々農村で生まれ育った楠さん。「ワイン造りは農業であり、自然の中での生活です」と、田舎の生活に対する気持ちもあり、加えて「当時は新たにワイナリーを始めようとする人はほとんどいませんでしたから、パイオニアとして挑戦してみたいという思いがありました。それにワイン造りは科学に基づく芸術であると言われていて、自分のやりたいことが全てそこに詰まっていました」。
ただブドウを栽培したこともないし、もちろんワインを造ったこともない。そこで考えたのが留学して、正規の教育を受けるという方法。オーストラリアのアデレード大学大学院に留学し、「そこで2年間、醸造学とブドウ栽培学を勉強しました」。そして帰国後、2004年に須坂市で新規就農し、農家となった。
須坂市は果樹栽培の盛んな地域。楠さんが学生の頃住んでいた時もそういう認識でしかなかったが、留学中に日本の気候データを調べて分析してみると、「須坂を含む北信州が、ワイン用ブドウの栽培最適地の一つだと言うことに確信を持ちました。数値的にはフランスのボルドーに近い」。栽培期間中の降水量は非常に少なく、日照時間が長いので、光合成を確保しやすかった。偶然にも故郷がワイン造りにこの上もなく向いていた。しかし楽なスタートとはならなかった。「非農家から農家になるということから始めなければなりませんでした。それが大変でしたね」。
当時農家になるためには50aが必要だったが、なかなか貸し手が現れず、ようやく「高齢で農業をやめられる巨峰を栽培していた農家から3反歩の成園を引き継ぎました。後の2反歩は、荒廃農地を借りて、ワイン用ブドウの畑に整備しました」。現在同ワイナリーは7haの規模になっているが、ほとんどが元は遊休荒廃農地。「巨峰が高く売れなくなった頃はやめようかという農家さんもいらっしゃいましたが、最近はナガノパープルやシャインマスカットなどが人気で、また元気になってきましたので、ワイン造りのために畑を拡大するのもなかなか難しい場所です」。
G7の大臣会議歓迎レセプションに採用
農地を取得して取り掛かったのはワイン用ブドウの栽培。まずはメルローとシャルドネの苗木が植え付けられた。「ここは日滝原と呼ばれる扇状地にあって、水はけが非常によく、ブドウ栽培にとっては良い条件でした」。生食用のブドウも作りながら、ワイン用ブドウの生育を待ち、2006年に委託醸造による初のワインをリリースした。そして2010年に株式会社を設立し、2011年にワイナリーを竣工。醸造の設備を整え、自社醸造を開始した。
「その初仕込みで、メルローの幾つかの樽だけが非常に出来が良く、キュヴェ・マサコと名付けたブランドで発売しました」。それが長野県原産地呼称管理制度における認定委員会の審査員奨励賞を受賞した。同制度は、より高い品質の農産物・農産物加工品を認証するもので、ワインでは味覚を審査する官能審査委員長を日本ソムリエ協会会長の田崎真也氏が昨年まで務めるなど、認定基準は高く、その中から特に優れているものに奨励賞が与えられる。「当時、世間は、今ほど日本ワインへの関心がなかったので、あまり注目されませんでしたが、嬉しかったですね」。
2014年にはスパークリングワインを醸造する設備を整え、2016年には軽井沢で開催されたG7交通大臣会議の歓迎レセプションにシャルドネ2014年樽熟成が採用されるなど、存在感を高めていった。現在栽培している品種は最初に手掛けた2品種に加え、赤ではピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨン、白ではセミヨン、ビィオニエなど。出荷本数は年間2万本~2万5000本ほど。労働力は楠さんの他、栽培と醸造を行う生産・加工部門が2人、販売部門では、ソムリエの資格を持つ2人が営業職として販売などを行っている。出荷先は酒販店、酒卸、自社の直売所、インターネットなど。
ワイン造りのビジネスは販売が鍵
ビジネスとしてワイン造りを見た場合、「この事業を始めて一番大変だったのは、販路を確保することです。今でこそ日本ワインは注目されていますが、私がワインを造り始めた頃は関心も薄く、造ることはできても、それが右から左へとどんどんはけていくという状況ではありませんでした。未だにそうですが、なかなかキャッシュフロー的には大変でした」。酒屋はお客が買わないものは仕入れない。お客は聞いたことのない銘柄の、しかも量産品とは異なってそこそこ値段がするものは、なかなか手が出ない。当時はSNSで宣伝してという時代でもなく、地道に品質を上げ、賞を取り、話題が幾つか重なり、実績を積み上げることで、「ようやく最近では少し知られるようになってきたかなという感じです」。
農産物であればとりあえず市場に出すことで値は付くが、様々な価値を集約した商品は、その価格と価値が見合っているのかを見極めることは難しく、信用を得てブランドを構築し軌道に乗せるまでには時間がかかる。楠わいなりーでは、今でこそ1万円を超えるワインも商品化し、買い手の理解を得ることができているが、そこまでには長い道のりがある。そこを歩き続ける体力があるかどうかが問われる。
またワイナリーを始めるためには先行投資がかさむ。楠さんは事業を始めるに当たって出資者を募り、また多くを日本政策金融公庫のスーパーL資金で賄った。借り入れである以上、据え置き期間や金利負担の軽減があったとしても必ず返済があり、「うまく回り始めるまでに時間がかかります。運転資金をどう確保していくか。そこがなかなか簡単ではありません」。苗木から収穫まで3年。1年に1回の収穫。そして手間暇かかる仕込み、熟成。ワインが成熟し商品となるまでの時間に商品の価値が認識される時間を加えたものと、ビジネスの時間とのギャップをどう埋めるか。「ワイン特区であれば2000リットルから始められ、小さな設備ですみます。ただ売り上げも小さくなります。私たちの規模になると、必ずかかる固定費も大きく、ある程度の売り上げが必要になります」。細い道をうまくバランスをとって歩かなければ前に進み続けることはできない。「はた目には、憧れられる、夢のある仕事、生き方と見えるかもしれませんが、そんな簡単なものじゃないですね」。
ただワイン造りにおけるこのゆっくりとした時間は利点となることもある。生鮮食品などと違い、賞味期限や消費期限がなく、せっかく作ったものを期限が切れたからと言って破棄することはない。「寝かせて熟成させ、美味しくなることも少なくありません」。今、楠わいなりーでは6万本ほど在庫があり、出荷とストックのバランスがうまく回り始めると経営は好転していく。また異常気象などでブドウの収量が激減するようなことがあっても、そのリスクを軽減することに繋がる。
慈愛を感じるワインを造る
気候、風土がワインの個性になっていく
異常気象のリスクは万が一の話ではなく、近年は身近なものとして収量にも影響をおよぼし始めている。ワイン用ブドウは9月に白用のものを収穫し、10月には赤用のブドウとなるが、「2016年から3年連続でこの辺りは非常に天気が良くありません。9月に入ってから雨が多く、特に2018年は9月、10月と雨が降り続き、日照時間も少なくなりました。糖度が上がってからの雨ですので病気になりやすく、昨年は収量が非常に落ちました」。ブドウは露地で栽培され、気象の影響は避けがたい。それがブドウの出来の良い年、悪い年に関係し、ワインの個性ともなっていくが、ただ自然に任せるのではなく気候の変化に合わせて「臨機応変に対応できる能力が必要になってきます」。それがプロの仕事となるが、従業員は経験の浅い者もいて、人材育成が安定した経営を進める上の課題ともなっている。「やっぱり大切なのはブドウ作りだと思います。良いワインは良いブドウからしかできません」。
楠さんが目指しているワインは、「品種特性が良く表現されたワインです。そして、飲んでほっとし、心が和らぐもの。楽しい時はより楽しく、辛い時は気分を和らげてくれる。味わいのある、慈愛を感じるようなワインを造りたいと思っています」。単に酔っぱらうために飲むというのではなく、心の栄養になるようなもの。「ワインはそれを飲むことで、色々な人と繋がり、楽しい時を過ごし、人生が豊かになる。そういう特別な飲み物だと私は感じています」。生活に彩りを与える文化的要素を色濃く持っている。
そんなワインは楠さんの思いを反映し、また産み出された場所の風土にも大きく影響される。「メルローは様々な地域で作っていますが、同じものは一つとしてありません。楠わいなりーのメルローもここでしかできない味です。また同じ畑でも木によって味が違います。土地や作った人の違いによって大きく差が出る農産物ですね」。それは“テロワール”という言葉に集約される。“土地の味”とも訳され、ワインそれぞれの個性となっていく。
農業から文化を生み出し芸術を創造する
日欧EPAの発効により、ワインの関税が撤廃され輸入量が増えているが、日本で造ったワインには日本というテロワールがある。「ワインは、それが作られた土地の食べ物と一番よく合います。日本でワインを作れば、日本食にはそれが一番合います」。それを活かすことが日本の消費者に選択される一つの道に違いない。
ワインが、その生み出された場所と深い関わりを持つということは、旅の一つの形として海外で定着しているワインツーリズムにも見て取れる。多くの人がシャトーを巡り、その土地ならではの景観、文化、食に触れ、地域活性化にも繋がっている。日本でもワイナリーは観光資源として大きな可能性を持ち、「長野県は温泉もありますし、そこに入って、土地の産物と土地のワインを楽しむというのは、非常に良いのではないでしょうか」。楠わいなりーでは、試飲しワインを購入できる直売所や収穫体験の実施などを行っているが、「夢としては、食事ができて、ここをゆっくり楽しんで頂けるような仕組みを作りたいと思っています。レストランや宿泊施設があり、例えばそこに動物がいても良いし、チーズを造る人がいても良い」。思わず笑顔がこぼれるような、すてきな場所が思い浮かぶ。
様々な価値を集約して産み出されるのがワイン。自然の恵みを受けて育つブドウ、知恵と経験によって培われる醸造技術、人と物の出会いを演出する販売、それらが融合し、さらにその中に作り手の思いや土地の風土、完成までに刻まれた物語を織り込みながら一つの商品として醸し出していく。それは一つの芸術であり、その個性が唯一で誰もが求めたいと思うものとなるのなら、その対価は計り知れない。農業から文化を生み出し芸術を創造する。そこに身震いするような大きな可能性を感じた。