2009年の農地法改正により農地利用の規制が緩和され、それ以降、新たなビジネスの可能性を求めて、多くの企業が農業に参入してきたが、農業はビジネスとして結果が出るまでに時間がかかり、また気象リスクなどもあって、参入しても数年で事業撤退を決めるケースが少なくない。
しかし、今、日本農業には、様々なリスクに打ち負かされない強靱な組織体が求められており、経営体力があり、しっかりとPDCAサイクルが回せ、科学的知見に基づいて行動でき、販売のことまで考えられる企業参入に期待は大きい。農業の持続にとって大きな可能性になる。では企業が農業参入で成功するためにはどうすれば良いのか。これからの時代に対応した、企業による農業参入の挑戦を探った。(記事内の数値・状況は2022年10月現在)
売れる野菜をつくりやすくする
小売業が農業に参入
㈱平和堂は、滋賀県彦根市に本社を置く1957年創業の総合スーパーマーケット。県内を中心に展開し、近隣の府県を合わせるとグループの小売店舗数は165店舗になり、地域に密着した滋賀県を代表する企業の一つ。
そんな同社で2020年8月からアグリ部門として事業展開を始めたのが“平和堂ファーム”。同県南部、琵琶湖の南岸に位置する野洲市で活動している。今回同ファームを訪ね、ファーム長の延澤太さん(52歳)にアグリ事業の展開や今後の展望を伺った。
同ファームでは、イチゴ40a、ミニトマト40a、小カブ18aがハウスで栽培され、また試験栽培の段階だが今年からシャインマスカットの取り組みもスタートしている。企業の農業参入として規模的な物足りなさも感じるが、そこには同社が農業の取り組みによってどのような価値をつくりたいのか、そのコンセプトによるところがあり、同社の農業参入の鍵がある。その話しは後ほどするとして、まずは概要を見てみたい。
栽培品目の選定については、「私たちは小売業として、売り場で不足している商品や、数量があればもっと売れる商品など、どの時期にどんな商品が必要なのか、売れる野菜のデータを持っています。それに基づいてこの3品目からのスタートしました」と、小売業の経験に基づいている。試験栽培を始めたシャインマスカットもデータに基づいた仕入部門からのリクエストだ。
収量に関しては、「滋賀県の一般的な収量を目標にして取り組んだのですが、初年度の結果は、その7割となりました。2年目は1年目で出てきた課題、例えば収穫作業の遅れや、害虫の発生など、それらの課題を一つ一つ改善してほぼ一般的収量にすることができました」。収穫後は24時間以内の店舗到着を基本とし、県内25〜30店舗で販売されている。「私たちの栽培しているイチゴやトマトは、遠隔地から入荷するものよりも高い鮮度で提供することができます。また、お客様からもその点を評価されています」。
経験不足をカバーするために環境制御機器を導入
労働力は延澤さんを含む4名の社員と契約社員が1名、パートスタッフが5名。そこに繁忙時期に合わせて短期アルバイトが加わる。ここに配属された社員4名は、それまでの農業経験はゼロ。全くの未経験からスタートした。延澤さん自身も、「開場のほぼ1年前に農業スタッフへと声が掛かりました」。最初は農業をするために平和堂に入社したわけではないという思いもあったが、新しいプロジェクトを一から立ち上げることに魅力を感じ、やりがいのある仕事とした。
そこで県の農業関連部署に相談しながら準備を進め、1ha程の農地を研修圃場として借り、そこでテスト栽培を行ったり、イチゴやミニトマトの生産農家で研修し、県の普及センターの指導を受け、農業を学んでいった。また農業経験の不足をカバーするために、ハウスに環境制御機器を導入した。
この環境制御機器は、ハウス内の室温、湿度、CO2濃度、飽差、日射量を計測し、栽培環境の最適化を自動で行う。また、測定したデータはクラウドに集積され、今後の栽培管理ツールとして活用できる。「私たちには経験がありません。それを補うために環境制御を導入して、データを蓄積し、誰もが野菜をつくれるような環境を目指しています」。
生産が安定すれば今の生産規模を拡大するという方向もあるが、平和堂ファームの試みは少し違う。ここで先ほどの参入コンセプトの話。「ファームは、安全・安心な農産物を生産しそれを店舗に供給していますが、面積を拡大し、収量を増加させ、売上を高めていくというビジネスモデルを考えているわけではありません。実は第1の事業目的は地域活性化のために農業を応援することです。そのために先ず私たちが農業を実践して、“売れる野菜をつくりやすくする”、農業モデルの構築を進めています」。
その平和堂ファームで蓄積した“売れる野菜をつくりやすくする”ノウハウは新規就農者や地域生産者に還元され、地域農業の持続に貢献し、滋賀県農業の活性化に繋がればとしている。それが農業参入の主たる目的。従来企業参入であったような、余剰人材の活用や、事業の多角化、サプライチェーンの内製化などと異なる取り組みになっている。
私たちのリソースと農業経験を役立てたい
新規就農者を増やして地域を元気に
「弊社は100年企業を目指す取り組みを進めています。そのためには地域に元気がないと私たち小売業は成長し続けることができません」。全国の地方都市には少子高齢化や地域外への人口流失、地域コミュニティや地場産業の衰退があり、その地域に根ざす小売業にとっては事業活動が左右される大きな課題だ。同社は企業理念として“お客様と地域社会に貢献し続ける企業”を掲げているが、それに基づき、「平和堂として地域が元気になる取り組みを推進するために、地域共創プロジェクトを立ち上げました」。地域の抱える課題に取り組み、地域を活性化すれば、同社もまた成長し、理念実現に繋がるとの考え。そのプロジェクトの一つが平和堂ファームによる持続可能な農業の実現に貢献する取り組みとなる。「私たちのリソースと蓄積を続けている農業経験を活用してもらうことで、少しでも新規就農者を増やすことができればと思っています」。
同ファームで構築を進める“売れる野菜をつくりやすくするモデル”はデータに基づいた栽培方法だけでなく働き方も含まれる。「ここで働く社員やパートスタッフは㈱平和堂の就業規則に沿った働き方です。農業だからといって無理な働き方はしていません。そのために環境制御機器を導入して省力化に努め、人の配置や作業の割り当てでは、店舗でのシステムを活用して作業の効率化を図っています」。ハウス内ではそれぞれの作業に合わせた高さに栽培ベッドが配置され、作業負担の軽減が進められている。どれだけ収入が上がっても、労働負荷が大きければ、持続可能な農業ということにはならない。新たに農業へチャレンジする人にとって、それはとても大きなポイントになる。「新規就農者に向けて、売れる野菜の作型、収支、働き方、それらを含めたモデルをつくることが農業に取り組む大きな目的です」。
商品を開発してフードロスを削減する
今年の11月からは、これまでの2年間に取り組んできたことをベースに、新規に独立就農を目指す人を対象として、イチゴ栽培の実践講座を開催する。「県と滋賀県農林漁業担い手育成基金と連携し、私たちの圃場を使って講座をスタートします」。ファームでの実習を通し、「ゼロからの立ち上げで課題となったことや、1年目にどのような失敗をしたのか、また2年目にその失敗をどのように克服したのか、テキストだけでは分からない生産現場の実際を伝えていきたいと思っています。合わせて1年目と2年目のリアルな数字を提供します」。さらに座学では、平和堂のバイヤーとの意見交換も設けられ、流通・販売に関しても学ぶことができる。
地域農業の課題解決に向けた取り組みはこの他にもある。「農業に取り組むことで分かったのですが、イチゴの生産では店舗に出すことができない規格外品が多数発生します」。同社ではフードロス削減に以前から取り組んでいたが、店舗に運ばれる前の段階でもロス削減が進められれば廃棄するものをより少なくすることができる。「困っているのは私たちだけでなく、他のイチゴ生産者も同じ課題を抱えていました」。そこで地域のイチゴ生産者と連携して規格外のイチゴを原料の一部とした缶チューハイを開発し、平和堂の店舗で販売した。「私たちには商品開発の部門があり、それを販売する売り場もあります」。この冬にはサイダーも発売予定だ。
企業のリソースを活用することは大きな強みだ。「初年度は7生産者、今年は9生産者と連携しました。私たちのリソースを超える案件でも、社外に連携を広げることで解決を図れることもあると思っています」。同ファームにはその連携の中心を務める役割もある。
農業と小売業の共創で新たな価値を生み出す
生産と販売を一体的に考えられる強み
持続可能な農業への貢献を目的にしている平和堂ファームの取り組みだが、同ファームの持続を考える上でも収支は気になるところ。「この事業を立ち上げる際、施設などの初期投資分を含め、事業の収支計画を立てていますが、今のところは予算通りの進捗です」。生産と販売を一体的に考えることができ、それが強みになっている。投資の回収については長期計画の中に織り込まれている。「企業の農業参入の中には、見込んだ収益を上げることが難しく数年で撤退する話も聞きますが、私たちにはその考えはありません」。
これからの新たな取り組みとしては、「確定ではありませんが、惣菜加工をしている関連会社から出る食品残渣を堆肥として利用する循環型農業の取り組みも視野に入れています」。また、施設栽培は初期投資の負担が大きいため、それを緩和できるような、規就農者が取り組みやすい露地栽培の営農モデルを構築していく予定だ。他にも就農に興味を持っている人が、気軽に参加できる就農体験講座なども考えている。「未経験からスタートしてまだ2年が経過したところです。ベテラン農家さんの仕事の進め方には足下にも及ばないのですが、目標に向かって一歩ずつ進んでいくことが大切だと思っています」。さらに将来的には、同社社員が農業を経験する社員研修の取り組みも検討している。
独自性のあるポジションを構築
企業が農業に参入する場合、別法人として取り組む場合もあり、「採算性だけを見れば、子会社化して補助金を受け、規模を拡大していけば投資回収がもっと早くなるかもしれません。しかし、私たち平和堂ファームは平和堂の中の一部門として農業に取り組み、地域共創プロジェクトを推進しています」。企業のバリューチェンの一つとして農業に取り組み、それが独自性のあるポジションを構築することに繋がっている。農業参入が大きな価値を生んでいる。また地域農業にとっても、得るものがあり、持続的な取り組みとなりそうだ。これからの企業参入の形ではないだろうか。