日本農業が成長産業になるためには、意欲的な新規就農者の増加が欠かせない。そのために儲かる仕組みをつくろうと様々な取り組みが行われているが、現場を歩いてみると、利益を上げている農業者に必ずしも後継者がいるというわけではない。それが大きな問題。それじゃどうすれば良いのかと思案も尽きそうになるが、利益だけじゃないということは大きな可能性にもなる。
農業には多くの魅力があり、その魅力が利益の一部を代替するのなら選択の余地が生まれてくる。ただ、大きな労働負荷や自然を相手にすることのリスク、市況変動などもあり、その中でどのようにバランスを取るのかが問われる。その道が隘路になるのか大道になるのか。苦労と喜びの駆け引きと言っても良いかもしれない。今回非農家出身の新規就農者を訪ね、その選択が何をもたらしたのか、実際を聞いた。(記事内の数値・状況は2022年8月現在)
IT業界からぶどう農家に
ピオーネの産地で新規就農
岡山県は“晴れの国岡山”と呼ばれ、年間の日照時間が長く、また台風などの自然災害が少ないこともあって、農業を営む環境に恵まれ、果樹栽培も盛んに行われている。中でも桃とぶどうは同県を代表する果物で今回お訪ねしたのはぶどうの産地岡山県新見市。同市はピオーネの栽培においては全国一の生産量を誇っている。「ここはピオーネ栽培の適地で、県下ナンバーワンの品質を誇る産地です」と語るのは、古川ぶどう園の古川大輔さん(46歳)。奥様の夏子さん(45歳)にも同席いただき話を聞いた。同市は県の北西端部に位置し、標高400~500mの石灰岩地帯からなるカルスト台地上にある。水はけがよく夏季冷涼な気候と昼夜の温度差が大きい。これらの条件がピオーネ栽培に適しており、高品質のピオーネ産地として市場から高い評価を得ている。
古川夫妻は非農家出身で2011年に大阪市内から新見市に移住。2年間の農業研修の後、2013年に古川ぶどう園を開設して就農、現在経営面積86aでぶどうの生産に取り組んでいる。栽培品種のメインはピオーネで、全体の7割程。それに加えて、シャインマスカットや瀬戸ジャイアンツ、サニードルチェを作期の分散を図りながら栽培している。労働力は古川夫妻の2人で、繁忙期には手伝いを頼む。収穫したぶどうは7割程をJAに出荷し、残り3割は自分たちで直売を行い、昨年からは新見市のふるさと納税の返礼品としても採用されている。出荷量は昨年度で12〜13tになり、新見市のピオーネはブランド力が高いこともあって、「現状の収支は十分に経営が成り立つ売上になっています。就農6年目位から貯金ができるようになりましたね」。就農して約10年。苦労と喜びをくぐり抜け、その歩みはまだその先へと続く。その道は今、明るくも感じる。
生活は不便になっても良いものをつくるために
農業の道へと足を踏み入れたのは大輔さんが30歳も半ばになろうという頃。元々二人は大阪市内でIT関係の仕事に携わっていたが、当時は仕事に追われ、充分な見返りがあったとも思えず、「将来ずっとこの仕事を続けて行くというビジョンが全く持てない感じでした」。それは2人の共通した思いで、別の未来を考え始めた。そこで色々と思案する中、大輔さんは食に関して興味があったことから、食品関連の仕事をしたいと考えるようになった。「食の仕事と言っても様々な選択肢がありますが、それなら直接食を生み出す仕事をしてみようと思いました。また自分が主として仕事がしたいという思いもあって農業を選択しました」。
夏子さんも、「ものを一からつくるという意味では、それまで携わってきたITの仕事も農業も同じです」。農業にネガティブなイメージを思い浮かべる人もいるが、ものづくりの観点から農業選択に対する抵抗感はなかったようだ。「新規就農に関して調べてみると、色々な補助の制度もあり、これなら取り組めるのではと思いました」。
とりあえず資金が必要だろうと貯蓄に加えて、節約を開始。ただどこに農家への道があるのか分からない。二人とも非農家出身で身近に相談できる人もなく、先ずは居住地の大阪府に新規就農の問い合わせをしてみたが、手応えを感じることができず、次に大阪で開催されていた就農相談会の“新・農業人フェア”で各地の説明を聞き情報収集。そこで「岡山県がIターン就農者への支援制度が充実していることを知り、こちらに絞ってみることにしました」。就農オリエンテーションとして岡山県内の生産地を巡るバスツアーに参加し、そこで新見市のピオーネと出会う。そして同地で生産されるピオーネの品質の高さに感動し、ここでぶどう農家になることを決めた。「生活においての不便はありましたが、良いものをつくるためにはこの環境が必要だと判断しました」。
ぶどう農家としての生活がスタート
35aの園地を借り受けぶどう農家に
こうして二人は大阪市から新見市に移住することになった。都会から田舎へ。夜道は暗く、何でも揃っているわけではないけれど、景色はビルから山に代わり、喧噪は鳥の声に、ネオンは星空に。大輔さんはベテラン農家のもとで2年間の農業研修に取り組み、夏子さんは「就農時に立てた事業計画の中で、私は4年間外へ働きに出て稼ぐことがミッションでした。この収入があったことで経済的にも安定しましたし、設備投資で役立ちました」。新規就農に際して国や自治体から補助金などの様々な支援があり、現在の制度では農業実務研修で49歳以下なら、月額最大12.5万円(2年間)の助成や新見市独自の制度としては実務研修を終えた人に1年間月額7万5000円の支給があり、住宅を購入した場合は最大150万円の補助が行われている。就農したとしてもすぐに農産物を収穫できるわけではなく、補助を活用し自己資金を充実させることが重要になる。「農業研修がスタートした後は、事業計画通りに収支が進み経済的な不安はありませんでした」。
移住して新規就農するためには経済面の取り組みだけでなく、今まで生活してきた都会から新しい環境への対応も求められる。「60代の人が若いと言われる地域です。年齢的な価値観や地域の風習にギャップを感じることが多々ありました」。地域に一早く溶け込もうとお祭りなどの行事には積極的に参加し、冠婚葬祭の付き合いも怠らないが、予想以上の出費になることも。それでもそんな都会との違いを楽しんでいる。「周りのぶどう農家さんから本当に良くしていただきました。何も分からないという気持ちで接し、困っている時にはすぐ助けてもらいました」。まずは物怖じせず素直な気持ちで懐に飛び込むことが対人関係では大切なようだ。
地域で培われた知恵と工夫を引き継ぐ
2年間の研修でぶどうづくりを学び、新しい環境に対応しながら、35aの園地を借り受けぶどう農家としてスタートした。古川夫妻のぶどうづくりは、指導を受けた栽培方法に忠実で、茅や落葉を集めて園地に敷き詰めるこの地域独自の栽培方法も取り入れている。園地の土壌改善や乾燥防止、雑草の抑制、梅雨時のぬかるみ抑制などに効果がある。「指導通りに栽培することが、品質を向上させるベストの方法に近いと思っています」。産地のぶどう農家の一員として、地域の気候風土の中で培われてきた知恵と工夫を引き継いでいる。
5月中旬から7月末までは繁忙期。芽欠き、摘粒、花穂整形、ジベレリン処理、そして袋がけと、ぶどうの品質を左右する大切な作業が続き適期に行うことが求められる。「この期間の作業をどれだけ速くこなすことができるか、試行錯誤しながら取り組んでいます」。この期間は休みがとれず、日の出から日の入りまで、園地での立ち作業となる。「本当に忙しくて体が悲鳴を上げる程です」。果樹栽培は人の手に頼ることがほとんどで、肉体的負担は大きい。しかし嫌になるかと言えば、そうではなく、忙しい時期が過ぎれば「次ぎは粒間引きをもっと綺麗にできるようにしたいとか、課題を見つけて翌年の作業が待ち遠しくなります。その感覚はITの仕事などでは得られなかったものです。だから農業が向いているのではと思っています」。負担や手間など過程を楽しめることは農業を続ける上で大きな力になる。
その中、変化に対応するための取り組みも求められている。規模が拡大すれば、今の労働力ではカバーが難しくなり、そうなると従業員の雇用なども考えていかなければならない。そのためには一年を通した仕事を如何につくるかが課題になり、今は冬場の仕事としてキノコ栽培の実験などに取り組んでいる。また、「果樹栽培は機械化が進んでいませんが、ぶどう棚の組み方を変えることで、少しでも機械化に対応できる作業ができないかと、実験や研究に取り組みたいと考えています。これから先を考えると、何かを変えていかなければなりません」。持続的な農業経営を目指した模索が進められている。
農ある暮らしを楽しくハッピーに
私たちにとって最高の仕事
都会から移住してきて農家を始めることで、失ったものと得たものがあり、その収支がマイナスであれば、選択を後悔するということになるが、古川さんの試みは営農からの利益以上に、そこでの暮らしが、また作物を育てるということが、喜びにもなっているようだ。「都市部で生活をしていた私達からすると、お金を払って楽しんでいたことが、ここでは普段の生活の中で楽しめます」。例えば、たき火をして焼き芋をつくる、野外でバーベキューを楽しむなど。キャンプのようなアウトドア活動を趣味にし山間部に出かける人も少なくないが、暮らしが既に豊かな自然の中にあり、その一部が喜びをもたらすものになっている。
また、「自家消費で野菜をつくったり、不要になったハウスを譲り受けて、様々なキノコ栽培にチャレンジしていますが、それもすごく楽しいですね」。栽培を楽しみ、つくったものが自分たちの食卓に上ることも喜びになっているようだ。さらにサイクリングの趣味もあり、周囲の野山が格好のサイクリングロードになっている。「元々は農業に取り組むための体力づくりでジョギングを始めましたが、そこからマラソンに取り組み、その延長で今はサイクリングを楽しんでいます」。
古川さんの場合、移住前と後で、得たものと失ったものを足し引きすれば、その収支はプラスにあるように思える。その暮らしを叶えている農業は「私たちにとって最高の仕事だと思います」。
農業そのものを楽しみ、田舎での暮らしに喜びを見いだす
研修中や就農当初は生活を楽しむ余裕がないかもしれないし、新規就農者で新しい道の収支がマイナスになっている者もいるだろう。しかし、それがプラスにならなければ農業を持続していくことは難しいのではないだろうか。儲かることは大切だしそれは必要条件ではあるけれど、それだけでは十分ではない。農業そのものを楽しみ、田舎での暮らしに喜びを見いだせることも、非農家出身の新規就農者が地域に飛び込み、その地で農業を続けるためには必要だ。それらの総体がリスクや不安、不便、精神的・肉体的負荷などを上回るなら日本農業の持続は可能だ。農業は仕事であり、暮らし方でもある。その視点を忘れてはならない。古川夫妻がちょっぴり羨ましく思えた。