笑顔は農業の大きな価値!人が集まる楽しい直売所 取材先:栃木県大平町 小林一夫ぶどう園

アグリソリューション

  3月13日からマスクの着用がようやく個人の自由になり、5月からはインフルエンザと同じく感染症の分類が5類へ。いよいよアフターコロナが本格化する。既に外国人観光客は、昨年10月の水際対策大幅緩和から再流入し、2月の数字では2019年同月比50%まで回復している。国別に見ると、中国の出足は鈍いが、それを除けばすでに100%を超えている国もある。人は移動したい生き物のようで、“片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず”と各地の観光地が賑わいを見せ始めている。

  そこに何を求めているのかは人様々だが、向かう先に楽しさがあることは間違いなく、名所旧跡、リゾート施設、テーマパークに加えて、農業もまたその受け皿になる可能性は充分ある。決して希望的観測というわけではない。農業は単に食を生み出すだけではなく、様々な価値を持っていて、それが人を笑顔にする。そんな農業をスマイル・アグリカルチャーとして明日につながる農業の可能性を探る

約25種類のぶどうを直売所で対面販売

北関東最大のぶどう産地、大平ぶどう団地

 農業の持続性を考えるとき、しっかりとした収益が上げられるかどうかは、一つの大前提だが、それだけで充分なのだろうか。高齢化が進展する各地の生産現場を訪ねて、生産者の話を聞くにつれ、この疑問が的外れではないと強く思えてくる。そこで利益が出る農業を実現する過程に、“楽しさ”があるかどうか、それが農業を持続する鍵になるのではないかというのが今回のテーマ。人は楽しいところに集まる。人が集まれば活気が生まれ、交流が起こり、知恵が集まり、新しい取り組みが行われ、そこから未来への道が生まれる。

 小林一夫ぶどう園は北関東最大のぶどう産地と言われる栃木市の大平ぶどう団地にあり、観光農園を中心に60戸余りが生産活動を続ける中、直売所を中心とした販売で農業を展開している。昭和48年に小林一夫氏が設立し、3代目の小林美香さん(41歳)が20歳の時に後を引き継ぎ、26歳で結婚、夫が経営主になった。「夫は非農家出身なのですが、生産管理全般を担いこの園にとって欠かせない存在です」。販売面を主に担当する美香さんにぶどう園の取り組みについて聞いた。

 2.2haの園地に約25種類に及ぶ多品種のぶどうを生産。巨峰、シャインマスカット、藤稔、クイーンニーナ、マニュキュアフィンガー、雄宝など、人気商品から珍しい品種まで多彩。労働力は家族4人と従業員4人、研修生1人。元々は水稲を生産する地域だったが、水の便が悪いこともあってぶどう園に転換するところが増え、昭和46年に土地改良で一気に規模を拡大し、2年後の昭和48年には、大平ぶどう団地が完成。当初は100軒近くのぶどう園が軒を連ねた。太平山の南山麓にあり、日当たりが良く、寒暖差もあって、甘みのよく乗ったぶどうが生産されている。特に巨峰では名の知れた産地となっている。

小林美香さん
直売所を中心とした販売で農業を展開している

高い品質の商品に見合う丁寧な対応がぶどう園のブランド力を上げる 

 販売は直売が中心となり、直売所での対面販売が8割、電話による注文が2割、市場出荷はしていない。直売所はぶどうの収穫時期となる6月中旬からオープンし約3ヵ月間、「一粒、一粒、大切に育てたぶどう」が様々な品種をリレーしながら旬の味を求める人々に出荷されていく。「初物が6月中旬から始まります。まず近辺の方が他の地域に地元の味として送り、7月になるとお中元用として、8月に入るとお盆用として買って行かれます」。贈答用に強い需要があり、それに加えて自宅消費用の商品も販売している。

 直売所には、昔からの馴染みの客も多く、この時期にこの場所に来てぶどうを買うことを楽しみにしている。生産者との交流、旬の味が人を惹きつける。「私が小さい頃から、このぶどう園に通ってくれているお客様もいます」。

 直売所で農産物を購入することの魅力はなんといっても鮮度。その日に収穫したものがその日に店頭に並ぶ。「朝収穫したものがなくなれば、追加で収穫しに行きます。それを直売所内でお客様の目の前で選別し、箱詰めしていきます」。生産者の顔が見えるだけではなく、その仕事までも見ることができ、信頼感の醸成につながる。直売所での対面販売ならではの本物に触れる経験と言えそうだ。

 「農家が接客しているわけですが、接客する以上は細かなところまで気を遣い、気持ちよく買い物してもらえるように心がけています」。店頭での購入体験も価値の内であり、高い品質の商品に見合う丁寧な対応がぶどう園のブランド力を上げることになる。

 対面によるリアルな交流の中で、購入者の要望にも応えていく。「同じぶどうでも収穫のタイミングによって味は異なります。収穫の初めには糖度が18度を超えていても同時に酸味も残っています。それからだんだん酸が抜け、甘さが際立っていきます。好みはそれぞれですので、どのようなバランスが好みなのか教えていただければ、それに合った時期を提案させていただきます」。一般的な量販店にはない生産者の視点にも触れることができる。

 このような直売を通してしっかりとした需要があり、シーズン中、品薄状態になることもしばしば。「3ヵ月の間は、ずっと営業できることが理想ですが、品薄になれば営業時間を調整したり、休園したりして対応することもあります」。そのような状態でネット販売までは手がまわらない。また直売所で売るものは、農産物であって一つ一つが違う。この多様性こそが魅力なのだが全く同じものを期待する人もいて、「できれば直接お会いするか、声を聞いてから販売したいと思っています」と、丁寧な販売を心がける。予約制も導入しているが全量を対象にすると、知らずに訪れた人が購入することができなくなり、出会いの機会を減らしてしまうことになる。数量を限っての対応となっている。

収穫間近の巨峰
直売所

大切にしてもらえるぶどう園を目指して

直売所ならではの楽しさが多くの人を惹きつける

 同農園には直売所ならではの楽しさがあり、それが多くの人を惹きつけている。「 2020年に新型コロナが急速に拡大した当初、全量を直接販売していた私たちは大変心配になりました。市場出荷の可能性も探っていましたが、昔からの根強いお客様のお陰もあり、何とか乗り切ることができました」。その時訪れた人たちは、単にぶどうが欲しかっただけではない。電話注文もできたのだし、ネットで別のところからでも質の良いぶどうを購入できたはずだ。

 消費者はモノだけではなく、コトの消費にも関心を寄せる。購入時にどんな体験ができるのか、それが付加価値であり、それを求めるニーズは高い。直売所にはそれらを満たすものがあった。生産者との出会いや旬の農産物に宿る季節感、都市の日常から離れた田舎体験、自然との触れ合い、そして農業が持つ本物感。ちょっとした旅の目的地となる。

 日常の暮らしに彩りを添えるものであり、本物の美味しさを探してちょっと足を伸ばしてみるのは、日々を少し豊かにすることでもありそうだ。「デパートやスーパーで簡単にいつでも買えるところを、一年待ってぶどう園に出向き、自分のお気に入りのぶどうを探す」。丁寧な暮らしとも言える。農業はそれを提供することができる。

2.2haの園地で約25種類のぶどうを育てている
手間をかけ、これからおいしいぶどうに育っていく

狙いの品質になるように試行錯誤の中で最適解を探っていく

 同農園の直売所は令和4年にリニューアルし、店内には木の香が残り、洒落たロッジのようでもある。そこには心地良さがあり、季節感と共に農業に触れることができる。生産者との何気ない会話に新しい発見や温かさがあり、魅力は多い。ただ基本は農産物にあるわけで、それに見合うように生産にも力を入れる。

 「自然を相手にしていますので、難しいこともたくさんあります。もう少し糖度をあげたいと思った時、スイーツを作るようにはいきません。年間の天候、雨のタイミング、その中で房の数、粒の数、水の管理などを行い、狙いの品質になるよう微調整を進めていきます」。試行錯誤の中で最適解を探っていく。

 他にも低農薬に努め、土づくりを工夫し、園地を清潔に保ち、温度管理も機械ばかりには任せない。一番大変な作業は「摘粒作業で、これが仕上がりを左右します」。収穫時をイメージしながら一粒、一粒を吟味する、繊細な技術が必要になる。また出荷後の調整時には、シャインマスカットで時折、房の中に“味なし果”と呼ばれる無味の粒が混じるが、これをプロの目で選別し取り除いている。「ずっと大切にしてもらえるぶどう園になれたら嬉しいです」。そのためにも大切にぶどうを育てる。

直売所店内

ぶどうの棚の下から笑い声が聞こえてくる

限定本数のぶどうジュースや直売所でかき氷を展開する

 課題は需要に対して供給が追いついていないことだが、現在の陣容でこの品質を保ちながらでは、2.2haの栽培で手がいっぱいになる。「私たちは量を増やして質を落とすようなことはしたくありません」。高い品質を維持しながら生産量を上げていくのは容易ではない。手作りの工芸製品にも似ていて、手間のかかる果樹栽培ならではの事情でもある。そこが魅力なのだが。

 簡単に増やせない生産量の中で、新たな展開も模索されている。既に加工品ではジェラートとぶどうジュースが生産されていて、ジュースは年間400本限定の巨峰とベリーAを使ったこだわりのジュースとなっている。ただ規格外品を使っているわけではなく、数量はこれ以上増やせない。黒の和紙に箔押しを施した高級感のあるラベルで、日光の高級ホテルなどで使われている。

 また今年は直売所で「かき氷を始めたいと思っています。本職から氷の削り方を学び、そこに私たちのぶどうを使ったこだわりのシロップをかけます。遠方から足を運んできてくださったお客様に、もう一つの楽しみを提供したいという思いがあります」。

400本限定のブドウジュース

イベントの展開で作物以外の農業の可能性を探る 

 さらにイベントの開催も同園を特徴付けている。収穫後、紅葉したぶどう園で、ヨガ教室やスワッグ(壁などに飾る花束)づくり、デザートピクニック、クリスマステーブルコーディネート、食育も兼ねた焼き芋会など、多彩な催しを行っている。「最初のきっかけは宇都宮にある地域密着型の旅行代理店さんが持ち込んでくれた企画です」。それに対してアイデアも出し、今は独自の企画もあって、自然と触れ合いながら心地よい暮らしを提案するような場所となっている。「お料理教室やクラフトのワークショップなどのイベントを開いて、私が素敵だなと思う方に講師として来てもらっています」。

 SNSで告知し、直売所を通して繋がっている人や講師と繋がりのある人、生産者仲間である農業女子などが参加している。「農業をされている方に来てもらうととても嬉しいです。農地って作物を作るだけではなく、他にも可能性があるんだって、私以外の人にも、気づきのきっかけになれば幸いです」。

 また農業女子が参加した場合、自身でつくった6次化製品などを持ち寄って販売などもしていて、販路の提供にもなっている。

スワッグづくり
クリスマス・テーブル・コーディネート

スマイル・アグリカルチャーが明日に農業を繋げる 

 ぶどう園は農業生産の場所で、生産者にとっては毎日の仕事を営む場所ではあるけれど、一般の人には非日常な場所であって、作物が育まれる自然の中で過ごす体験は魅力的なことでもあるようだ。そこに人が集まり農業の可能性を引き出すことになり、農業に興味をもつきっかけにもなっている。「今年は7月の終わり頃、1日限定になりますが、お子様連れを対象にした、ぶどう狩りができれば良いなと思っています。その時は、お子様向けのワークショップも開催したいと思っています」。

 ぶどうの棚の下から笑い声が聞こえてきそうだ。参加者にも主催者にも笑顔がある。農業は人を楽しませる大きな力がある。その力はともすれば付帯的なものとして扱われるが果たしてそうだろうか。存外、本質的な部分であるような気もする。そこに農業持続の鍵がある。

 人は楽しいモノには弱い、時間を使おうとする。それが農業を活性化することに繋がる。農業が持つ楽しさを積極的に展開し、分かち合う営み、それがスマイル・アグリカルチャー。ぶどう園にはそれがあった。明日に繋がる取り組みに期待したい。

ぶどうの下でヨガ教室
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