縄文時代後期に日本に伝わったとされる稲作は、弥生時代には北海道を除く全国に広がり、日本人の主食を担うものとなっていった。しかし、元々熱帯性の植物であり、冷害などの影響により凶作の年も多くあり、江戸時代には150回もの飢饉が発生。多くの悲劇を生んでいる。冷害に強い稲は、その当時の人々の切なる願いであった。
明治に入ると近代国家への道を歩む過程で農作物の生産力増大が重要課題となる。その中、明治36年より本格的な米の品種改良が始まり、人工交配による交配育種法の基盤ができる。そして大正10年、耐寒性と共に多収量を実現した“陸羽132号”が生まれた。以後、これを祖として多くの品種が誕生している。昭和40年後半からは食味の向上を目的に新品種の開発が行われてきたが、近年の大きなテーマは耐高温品種の育成。温暖化が進む中、その成否が日本稲作の命運を握る。(記事内の数値・状況は2019年10月現在)
新品種で温暖化に対応する
富山県は北アルプス立山連峰からの豊富な雪解け水があり、稲作に適した気候風土の中、平成27年からは3年連続でうるち米1等比率90%以上を達成するなど、良質米生産県として知られている。耕地面積に占める水田率は96%と全国1位で、農業産出額に占める米の割合も66%と全国で一番高い。さらに、全国の種もみ生産受託量も61%になり全国1位の生産出荷。全国の米作りを下支えしている。その富山県から昨秋デビューしたのが米の新品種“富富富”。近年の温暖化の影響により米の品質低下が問題になっているが、それに対応する新品種として期待がかかる。今後も進行して行くであろう温暖化に対して、日本の稲作はいかに対応していけば良いのか。富富富の開発経緯とこれからを聞き、その中にヒントを探る。
「今年の富富富の作付面積は約1100ha。昨年が518haでした。収穫量も去年の倍を見越していますので、2500tから今年は5500tを考えています。昨年は首都圏中心の販売でしたが、今年は大阪や名古屋、九州にも広く流通させることができると思います」。そう語るのは今回話を伺った、富富富開発に携わったメンバーである富山県農林水産総合技術センター農業研究所育種課の副主幹研究員で農学博士の村田和優さん(49歳)。
富山県の気候はコシヒカリの栽培に適し、市場評価も高く、平成10年以降はコシヒカリが作付けの8割を超え、同県のメイン品種となっていたが、平成11年以降夏場の高温が続き、平成14年はコシヒカリの1等米比率が53%となり、農家に大きな被害をもたらした。「米が暑さの影響を受ける一番の問題は品質面です。稲穂が出て40日程で実りますが、その前半20日間の日平均気温が27℃を超える暑さになると、白未熟粒が発生します。はっきりとしているのは、暑い年には品質が下がり、気温が低い年は品質が良くなります」。
そこで、翌年以降は、今までゴールデンウィークに植えていた稲を5月中旬へ10日ほど移植時期をずらせたり直播栽培を採用することで出穂期を遅らせ、ある程度高温に対応することができた。しかし、温暖化が進み毎年記録的な猛暑などとなれば、栽培方法の工夫では対応できなくなってしまう。そこで、平成15年から高温に強いコシヒカリに代わる新品種の開発がはじまった。
「最近のコシヒカリの作付け面積は75%程ですが、やはり富山はコシヒカリがメインです。コシヒカリというのは、環境変動にすごく弱く、三つの課題があります」。一つが登熟期間が暑くなると白未熟粒が出やすくなる。二つ目が草丈が他の品種に比べて長い。そのため、台風や長雨の影響を受けて倒伏しやすい。そして三つ目が、気温が低いといもち病が発生する。そこで、この三つの課題を克服するような品種を作ろうと開発がスタートした。
暑さに強い遺伝子を突き止め富富富が誕生
遺伝子診断を取り入れた品種開発
「いもち病の抵抗性遺伝子は古くから研究されていました。草丈に関しても短くする遺伝子があることもわかっていました。しかし、暑さに強いということに関しては、全く研究の蓄積がありませんでした。私達は暑さに強い米、品種を探るところから始めました」。暑さによる白未熟粒には、胚乳の背部が白く濁る背白粒と胚の根元が白く濁る基白粒の2種類が出やすい。そこで、これらがない米の探索が行われた。「そして辿り着いたのが、インドの血を引くいわゆるタイ米と呼ばれている長粒種です。長粒種は粒全体が白い米が多い。しかし、よく見ると根元や背中側が全く綺麗なんです。それに気がついて白くなりにくい遺伝子を突き止めました」。
富山県は他県に先駆け、品種開発に遺伝子診断を取り入れた育種を行ってきた。「単純に暑さに強いもの、病気に強いもの、草丈の短いもの、食味の良いものを交配しても、おそらく色々なものができてしまいまい、こちらの意図するものができるとは限りません。遺伝子情報に裏付けされた品種開発を行うことで、私達は苗の段階で、暑さに強い、背が低くなる、あるいは病気に強いなどがわかります」。そこで、コシヒカリと高温耐性遺伝子を持つものを交配親として交配し、その後目的遺伝領域を持った個体を選別し再びコシヒカリとの交配を繰り返す戻し交配を行って、高温に強いコシヒカリを作り出した。
そして背が低いコシヒカリ、いもち病に強いコシヒカリを用意。「病気に強いコシヒカリ、背の低いコシヒカリを交配していもち病に強く、背の低いコシヒカリを作り、そこに暑さに強いコシヒカリを交配します。これをピラミディング育種と言います」。こうして平成28年にコシヒカリを遺伝背景として、高温登熟性、耐倒伏性、いもち耐病性の遺伝子を有する新品種富富富が誕生した。
肥料の削減や薬剤をカットできるメリットも
コシヒカリをベースとして生まれた富富富だが、食味においても変化があった。「食味に関しての遺伝子は何もいじっていませんが、富富富のほうがデンプンの詰まりが良くコシヒカリより糖の量が多く甘みがあります。アミノ酸の量は、旨みのグルタミン酸とアスパラギン酸の含量、甘みのアラニン、セリング、グリシンの含量どれもコシヒカリを1とした場合、富富富は2割ほどプラスされています」。コシヒカリの甘み、旨みで暑さに強い米が本来の狙いであったが、この食味はある意味偶然の産物。しかし科学的な分析をしてみると、暑さに強い遺伝子がデンプン合成経路の最初の段階でアクセルとして強く働き、これによりデンプンに加えて、アミノ酸も沢山できるのではないかと考えらている。
富富富の栽培で注意すべき点は、「背が低いので苗丈も短く、水に潜ってしまうことがあるので水管理はデリケートにやらないといけません。また背が低い分、上に伸びず横に伸びていくので、沢山茎を作って沢山穂ができてしまいます。そうすると養分を取り合って暑さ云々ではなくて、品質が低下するので、肥料を2割減らして植えるようにしてもらっています」。生産者にとっては肥料の削減やいもち病に強いので、薬剤をカットできる経済的なメリットもある。
早生品種の“てんたかく”もブラッシュアップ
富富富に続いて、早生品種の“てんたかく”もブラッシュアップした。高温でも安定した収量を誇る“てんたかく81”を来年度に出す予定だ。「どんな熟期でも、早生、中手、晩生、どの品種でもしっかり実らせる事が大切です。生産者にとって気候の変動に対する不安をなくすような品種改良を常に心がけていかなければなりません」。新品種開発のベースがここにある。
高温被害だけでなく、温暖化に伴って新たな病気も北上している。今後さらに多発する可能性がある、倒伏を招くようなゲリラ豪雨や洪水にどう対処していくのか。今から準備しないと10年後では間に合わない。「農家の方が笑顔になって、安心して米作りをして頂ける様にすることが一番大切です。気候変動に対応する歩みを止めることはできません」。村田さんは力強く語った。
気候変動に負けず、未来に向かって農業を続けるため
現場生産者にとって「大変作りやすい」
昨年に続き今年2回目の富富富を生産する、農事組合法人KEKの組合長理事を務める宮田好一さん(72歳)にも話を伺った。
KEKは、平成27年に富山市八尾町黒瀬谷地区の4営農組合が合併して誕生した。構成員は96名。経営面積は約102ha。その内水稲が77haになる。「去年が6.8ha、2回目となる今年は8.8haに富富富を作付けしました。富富富には期待しています。価格も良いだろうと言うことで2ha増やしました」。富富富以外は、主力のコシヒカリが約42ha、早生のてんたかくが約23ha、その他には酒米やもち米が作付けされている。
「富富富は背丈が短いので、倒れる心配が全くありません。コシヒカリは肥料を少なくしても倒れてしまいます。それと比較すると富富富は大変作りやすいと思います。ただ、富富富の場合は栽培条件として化学農薬の使用制限があるので、雑草対策で苦労します。薬に頼らず人手による作業が増えてきます」。富富富の特徴の一つである草丈の短さは、生産現場で高評価のようだが、農薬制限による雑草対策が課題だ。
高温生育環境の中、全て1等米
最も重要な暑さに対してはどうか。「富富富は去年全て1等米でした。昨年の夏も暑かったですが、コシヒカリは一部2等が出たことを考えると、全量1等になったのは暑さに強い結果なのかなとも思います」と実際に生産に携わる現場生産者の率直な意見が述べられた。
富富富のこれからの展開に関しては、今年の結果を見て考えなければならないとした上で、「営農組合としてはコシヒカリよりも高い値段で富富富が取引されることは良いことです。ただ、個人的に考えると価格がコシヒカリと変わらなくてもコシヒカリより美味しいとして沢山売れた方が、次につくる面積を増やしていけます。倒れる心配がなく、高温でも1等米比率が高ければコシヒカリをやめて全部富富富にしてもいいと思っています」。今はまだコシヒカリの生産比率の方が高いが、異常気象が頻発する中、生産現場では新しい時代を迎える気持ちは既にできているようだ。後は富富富がどれだけ消費者に認知され、そして指示されるか。期待に応え、選択されるブランドになるならば、今後の価格形成も含めて、可能性は大きい。
新品種に新鮮な気持ちで取り組む
「農業を維持し守るために、来年には隣の集落が営農組合に参加して、120haを超える経営面積になります。そうなれば、集落毎に品種を決め、一つの集落全てを富富富の作付けにしようかと相談しています」。来年富富富を作付予定している集落の生産者が、富富富の栽培方法を聞きに来ているとの事。「新たな事へのやる気を見せています。富富富導入は新鮮な気持ちで仕事に取り組む切っ掛けにもなっています」。気候変動に負けず未来に続く農業にするために富富富の果たす役割は決して小さくないようだ。
令和元年度の富富富は既に収穫を終え、10月3日から県内で一斉に販売が開始される。また、10日からは県外での販売も始まる。生産者、消費者、富富富に関わるすべての人々が、“フフフ”と微笑むことができるのか。今後の富富富に期待したい。