農作物を育てる上で最も重要となるのが水の確保。降水量の豊かな場所、大河の流域では農業が栄え、文明の興隆さえも後押しするが、それ以外の場所でも人は生き、食を求め、水を必要とする。その中で、つくられてきたのがため池だ。水が乏しい場所でも農業が可能となり、まさに地域存続の命綱として長年守られてきた。しかし、農業を取り巻く環境が変化する中で、ため池の在り方も変化し、誰がどのように維持管理していくのかが大きな問題になってきている。
一方、農業用水としての供給だけではなく、憩いの場として公園化することや、洪水調整池、防火用貯水池などの防災施設としての役割が期待され、さらに、水辺の生物の生息地を提供することや土木遺産としての価値などがあり、地域社会において、ため池の持つ多面的機能が再認識されるようになってきている。今回、徳島県阿波市のため池を訪れ、そのため池の持つ多様な役割を探った。(記事内の数値・状況は2019年8月現在)
地域農業の礎となったため池
大正4年に完成したため池が100haの農地を維持している
徳島県北部は、古代、粟の生産地であり、その読みの音から阿波の国となり広くこの辺りをさす名称として定着し、現在は徳島県中央北部に位置する市の名前に冠される。今回訪れたのは、同市市場町の市場(いちば)中央土地改良区。同土地改良区は三つの地区で構成され、それぞれに、農地・水・環境保全組織運営委員会があり、その下に15の地域資源保全隊を組織して、各地区に根ざした多面的機能支払交付金を活用した取り組みを行っている。市場町は中山間地域の棚田地帯から、吉野川沿いの平地まで豊かな自然に恵まれた地域で、稲作のほか、ブロッコリーの生産も盛んに行われている。阿讃山脈南斜面の扇状地に位置し、県下でも降水量が少ない地域となっている。
「昔は桑畑と芋畑でしたが、水を得ることによって、米を作ることができるようになりました」。そう語るのは、市場中央土地改良区の松本勝理事長(75歳)。降水量が少なく、干ばつに苦しめられてきたこの地域の農民は、江戸時代後期から硬い岩山に隧道を掘り、水路を築き上げ田畑を養ってきた。しかし水が十分行き渡ったわけではなく、度重なる干ばつに耐え、米作りを広げていくためにも大規模なため池の建設による農業用水の確保を渇望した。そこで農業用水を確保するため明治43年から築池調査を進め、大正2年に起工し同4年末に金清(かねきよ)1号池と金清2号池が完成した。「地域の人、300人くらいが出て勤労奉仕で作業したそうです。技術者が東京から来て技術指導したらしい。2号池には当時流行していた取水塔が建てられました」。また、同時に造られた導水路樋門はレンガ造りで築かれ、今もその姿を見ることができる。「当時は人力の作業でしたが、池や水路を修繕する時に、その建築技術の高さに驚かされます。技術の進歩と照らし合わせて歴史を感じることができます」。金清1号池は、貯水量14万㎥。2号池が11万3000㎥。築造から100年以上たっている2つの池の水は稲作を中心に100haの農地で利用され、現代に至っても貴重な水源となり、農業の礎としての役割を果たしている。
ため池の持つ多様な役割
農業用水としてだけではなく、防災用や憩いの場に利用
松本理事長は「9月になると農業用水の需要量が少なくなるので、水位を下げて台風や大雨による流水を貯留する調整池として、水害の抑止に繋げています」と灌漑以外の地域に根ざした防災機能としての役割について説明してくれた。また、ため池には土砂が崩壊した際に、土砂や流木を留めることにより、下流域の被害軽減にも繋がっている。
金清池周辺は自然景観が優れ、以前から地域の小学校の遠足の場となるなど、地域住民の憩いの場としても親しまれ、親水公園としての機能を発揮している。「地元にとって金清池は生活する上で欠かせないものです。水で苦労してきたから、ありがたみもわかっています。だから、金清池をはじめ地域のため池を大事にしています」。その思いから、大切なため池とその施設を後世に残していきたいと、看板をつくり池の由来を記している。また、池の清掃や整備は池の管理組合や非農家も参加している地域の資源保全隊によって年2回実施し、それ以外に周辺の草刈りなども行っている。さらに、地元中学校と一緒に水路の清掃活動や美術部の生徒たちによる環境保全の啓蒙看板作成を行うなど、地域を挙げて金清池とその周辺の環境保全に取り組んでいる。
地域の賑わいに貢献する観光資源としての役割に期待
これらの取り組みや土木遺産として評価を受け、「ありがたいことに、地域の財産として平成22年に徳島県で唯一、金清1号池と2号池が“ため池百選”に選ばれました」。“ため池百選”は、農林水産省が全国に約20万ヵ所あると言われているため池の中から、特に秀でた特長を有している100のため池を選定したもの。ため池の持つ多様な役割と保全の必要性を広く周知することが目的で、農業の礎、歴史・文化・伝統、景観、生物多様性、地域とのかかわり、以上の5つの視点の内1つ以上において秀でていることが求められる。
「遠方から訪れる観光客もいます。市が金清池周辺を公園として整備する予定もあり、今後さらに観光客が増えていくと思います」と、地域の賑わいに貢献する観光資源としての役割に期待を寄せる。また、同土地改良区の吉永秀二郎事務局長は、「遊休農地を活用してコスモスや季節ごとの花を植栽し、棚田ではペットボトルでつくった灯籠を田圃の周辺に幻灯火と呼んで設置しています。そんな我々の取り組みがSNSで拡散して、それを見た他地域の方々が足を運んできています。これからは、我々も金清池の魅力の出し方を研究していかなければなりません」と、外部へ向けての主体的な情報発信の必要性を述べた。
地域全体を潤す新たな役割
ため池の多面的機能の共有が地域づくりの強い力に
「この地区で専業農家は1割もいません。農地を維持管理するのには農家だけでは難しくなってきています。そのため、非農家の方も巻き込んで保全隊活動を行っています」。農業の担い手不足による高齢化が進み、農家だけでの水利施設の維持管理や農地の環境保全活動が難しくなりつつある。同土地改良区では、金清池への取り組み以外にも、先に出た花の植栽や幻灯火イベントをはじめ、非農家の地域住民に対して、収穫体験や調理・試食会等の交流活動も積極的に行っている。「子どもたちが参加する収穫イベントで、収穫の喜びを感じてもらう。こういうことが将来の農業に向けて大事なのではないかと思います。農家と子どもたちの交流を通して、通学の声かけや見守りにも繋がっていきます。子ども達が農業に少しでも関心を持ってもらえればと思っています」。世代を超えた交流が、地域農業を維持する上でも重要となっている。
金清池への取り組みを通して「地域全体で水利施設を保全するという意識が高まってきているように感じています。非農家の方にも農業に関して意識を持ってもらえています。ため池をはじめとした農業施設が維持管理され、それに伴い景観や自然環境が維持されること、それは農家だけでなく非農家の方にも良いことで、一緒に住みよい地域作りをしていきたい」。多面的機能の共有が地域づくりの強い力となる。
金清池の持つ多様な役割を、農家だけでなく、地域住民一体となって支えていこうとする姿ができつつある。田畑を潤すだけでなく地域を潤すため池となることを願う。