ギネスに挑戦 糖度30度超えの甘い桃で選ばれる商品づくり 取材先 大阪府岸和田市 マルヤファーム

アグリソリューション

  普段使いの野菜や果物を買うとき、選ぶ目安になっているのは恐らく値段。店頭に並んでいる時点で品質の及第点はあり、産地で左右される場合もあるが、大まかには値段だ。安ければ安いほど消費者にとっては嬉しい“食べれば消えてしまう”、そういうものに価値を見いだすのはなかなか難しい。しかし生産者にとってはきつい。せめてコストに見合う価格であればと思うが、そういかないこともある。

  そこで消費者に喜んで財布を開いていただく価値を如何に付加するかという話。そのための一つの方法は、“食べても消えない”価値を加えるということだ。美味しいもの、珍しいもの、あるいは自分で収穫したものなど、それらは記憶に残る。つまり消費時間が長い。そこに価値が生まれる。そんな価値の一つが“糖度”。桃の可能性に挑む生産者を訪ねた。

高糖度の桃で差別化を図る

樹上完熟で出荷し、大産地の桃と差別化を図る

 “旨い”は“甘い”と言ったのは魯山人だったか。希代の美食家の口から漏れたそれは、華麗な食遍歴の末に辿り着いた一つの真実であり、貧しい舌に照らしてみてもそう言える気がする。それほど食材にとって“甘い”は強い武器になる。それを追求し、生産する桃の“糖度”がギネスで世界一に認定された果樹農家が大阪府の岸和田市にいる。

 勇壮なだんじり祭りで知られている岸和田市、その東の中ほどにある包近町では100年以上に亘って桃の生産が行わている。「大阪は小規模ながら、昔から桃を栽培していたようです。その名残で府内には“桃”という字が付く地名があちらこちらに見受けられます」。そう語るのは、マルヤファーム代表の松本隆弘さん(55歳)。包近町で高糖度の桃を生産している。

 マルヤファームは、桃70a、みかん100aを栽培し、松本さんとその両親、繁忙期には奥様が手伝う家族経営。桃はネット販売が中心で、組合には3割ほどの出荷を行い、一部は飲食店と直接取引をしている。ミカンは全て契約栽培。同町には松本さんの他、約30軒の生産農家が桃を栽培している。規模的には小さいが、都市近郊の立地を活かすことで、樹上完熟での出荷を可能にし、大産地の桃との差別化を図っている。また、松本さんの高糖度の桃が知られるようになって、ここ近年“包近の桃”として知名度が上がっている。

 将来のことを考え、農業を辞めようと思案松本さんは1998年、結婚を機に実家の桃とみかんの栽培を引き継ぎ33歳で就農したが、営農は順風とはいかず、どうにも儲からない。「子供も生まれ親子3人での生活を支えるため、朝早くから夜遅くまで目一杯働きましたが、儲からなくて、これじゃ割に合わないと思いました」。39歳の時には、将来のことを考え、農業を辞めようと思案。「再就職するなら年齢的に今かなとその時は考えていました」。

松本隆弘さん
「包近の桃」として知名度が上がっている

高糖度の桃づくりに挑戦し糖度計を振り切る

 そんな時、知人から鳥取県の高糖度リンゴの話を聞いた。「そのリンゴはなんと一箱1万円で売られてるという話でした」。それに興味を持って調べてみると、その栽培には“バクタモン”という微生物を利用した土壌改良材が使われていることが分かった。桃での実績はなかったが、「リンゴも桃と同じ落葉果樹だから効果があるかもという人もいて」その改良剤を使ってみることにした。一般の桃より糖度の高いものを生産することができれば、リンゴのように一箱1万円も夢ではない。「これで試して駄目であれば、農業を辞めるつもりでした」。そして迎えた収穫期。そこには驚きの結果が待っていた。

 通常、桃の糖度は11〜13度あれば甘いとされ、13度以上は最も高い等級になるが、「いきなり23度の糖度が出ました。今まで糖度18度以上の桃を作ったことがなかったので、これはすごいなと感動しました」。挑戦が一つの形になった。しかし「食べてみると、甘いだけで旨味がなく、少しも美味しくありません。人に食べてもらっても、欲しいとは思わないと言われました」。甘味ばかりが強くなり、その他の味が置き去りになっていた。しかし“甘い”という一つの強力な武器を手に入れ、農業の可能性が大きく広がった。「甘くて美味しい桃を作る」。この想いを胸に農業を続けていくことを決意し、失敗を繰り返しながら、数年掛けて独自の肥料設計を生み出し、ようやく糖度が高くまたその他の旨味も引き上げた美味しい桃ができるようになった。

 しかしそれが経営状況を好転させるゴールにはならなかった。他の生産者の桃よりも、糖度が高く、味も良いとなると、当然高値取引を期待したが、外観品質が支障となった。一般的に赤く色づいた桃の方が美味しいとされ、等級も高くなるが、「私がつくる桃は、その表面に糖度が高い時に表れるシュガースポットと呼ばれる点々がつき、赤い桃よりも白い桃の方が美味しいものになっていました」。出荷した選果場では、糖度の別はなく、ABCの3ランクの内、Bランクとされた。「味が良いのにBランクということに納得できず、自分で直接売ることを考えました」。いくら価値があってもそれを評価し示す手立てがなければ、対価を得ることはできない。

 そこで2008年からネットで販売に取り組み始めた。そのためにはその価値を見える形にする必要があり、まずは高精度の光センサによる糖度計を購入した。すると、「どの桃を計測してもピンポイントで25.5度です」。メーカに問い合わせると、糖度計で設定している最高値を超えているとのこと。「それで測定範囲が35度までのものに改良してもらいました」。それで計測すると、糖度30度を超えるものも出てきた。その客観的数値が価値の形であり、対価の根拠ともなる。手に取って確かめることができないネットの世界では、そのエビデンスが消費者の選択を誘う。30度を超える糖度は大きなインパクトがある。ようやくその魅力が経営に寄与し始めた。また商品がエビデンスが保証する期待を超えることもあるようで、その繰り返しが事業を継続していく。期待に応え、またそれ以上のものを提供し続けることができるなら、「あの人の桃は信頼できると思ってもらえるのではないでしょうか」。消費者と直接結ぶ信頼関係は事業の礎ともなる。

松本さんが一玉毎チェックして消費者のもとへ送られる
光センサによる糖度の計測

世界一の甘さを目指しギネス記録に挑戦

新たなカテゴリーを創出し、多くの支援者が協力

 2012年、松本さんは周りの声もあり、桃の糖度で世界記録に挑戦してみようと考えた。「世界記録と言えばギネスブックだと思い、それへの登録を目指しました」。ギネスブックを発行するギネスワールドレコーズに問い合わせをすると、ギネス記録には果物の糖度に関するカテゴリーがないとのこと。ただそれに加えて、「ギネス側からは記録としては面白いし興味があるので、カテゴリーを作るために、対象となる桃に関する文献を提出するように求められました。困りました。英語の読み書きなどできませんし、文献なども書けませんから」。大きな壁が立ちはだかった。

 しかし松本さんのギネス記録の挑戦を知り、大阪府の農業担当職員や果樹の研究者、農水省の職員等、多くの支援者が現れた。「ギネスに挑戦しようと思っていた桃は最高の糖度を計測した“まさひめ”という品種です。この品種を開発した先生からは、自分が開発した品種で世界記録を狙ってもらうのは嬉しいことだと、品種特徴に関する論文を快く提供していただきました」。多くの人達の協力を得て、ようやくギネスブックの中に、“最も高いブリックス値(糖度を表す物理量)を記録した桃”というカテゴリーができあがり、ギネス記録挑戦の道が開かれた。

 挑戦へのガイドラインには、標準記録として糖度22度を超えれば記録として認めるとなっていた。ここでの糖度22度は、光センサによるピンポイントの糖度ではなく、種と皮を除いてすりつぶした桃一玉平均の糖度になる。松本さんが食品分析センターで計測してもらった糖度は23.4度。これでギネス記録の承認が得られると思っていた。ところが、日本の食品分析センターはJAS基準の測定。ガイドラインのルールには、ギネスが指定した機関の方法で調べると記載されている。世界基準の記録なのだから当たり前なのだが、「ギネスが指定した方法で測定できるのは、アメリカの研究所。アメリカまで持って行くか、国内で同じ方法で測定してくれるところを探すしかありません」。幸い食品分析センターが協力に応じ、2014年にギネス指定の測定方法で糖度22.2度の測定記録を得、これを提示。さらに、農法や農薬、生食できたかの証明等、必要書類も準備し、2015年にようやくギネスブックに“世界で一番甘い桃”として登録された。

ギネス世界記録の認定書
百貨店では5万円で売られたこともある

予約を開始し、15分で完売

 ギネスブックで“世界で一番甘い桃”と認められたことは、松本さんの桃に新たな価値を付加することになり、それが販売面へとすぐさま反映された。その頃、6月に入って販売する桃は、5月1日の予約開始から2〜3週間で完売するようになっていたが、「ギネスで承認された年は、予約を開始して15分で完売しました。その次の年はサーバーがパンクしてしまいました」。

 また、百貨店で販売されていた松本さんの桃に5万円の価格が付いた。普通の桃は食べれば消えるが、甘さを追求した桃はそれを美味しさとして食べても記憶に残る。それが消費時間を延ばすことになる。ギネスに登録されている世界一甘い桃はさらに記憶に長く強く残る。その記憶を話題として2次使用することもできる。忘れるまでを消費時間とするのなら、食べてから消えるまでは随分長いだろう。消費時間の長さと価値の高さには相関関係がある。その対価を5万円として、それを選択する人を考えれば、そこに農業の大きな可能性がある。

さらなる価値を創出する

輸出ではなく食べに来てもらい、一番美味しい状態で

 ギネスブックに載ったことで、桃を輸出してほしいとの要望も出ているようだが、「完熟させないで早取りするのに躊躇いがあります。それなりの値段で売れるかもしれませんが、私が追求している美味しさではありません。逆に海外から来ていただければ良いのではないかと思っています。ここは関空からも近いので、海外からの富裕層などの観光客を相手に、桃狩りをしてもらってその場で一番美味しい状態で食べてもらう事ができれば嬉しいですね」。コロナ禍が沈静してからになるだろうが、大阪では万博の開催も予定されており、夢は広がる。

 また、松本さんは6次産業化として、桃を発酵させて作った酵素ペーストと呼ばれる健康補助食品にも取り組んでいる。糖度を上げる段階で不良品となった桃を有効活用でき、地域で松本さんと同じように高糖度の桃生産に取り組んでいる若手生産者からも原料となる桃を購入できれば、地域農業の活性化にも繋がると考えている。

 一旦は農業を辞めてしまおうと考えた松本さんだが、“甘い”を武器にそれを高めることで道をひらいてきた。その過程で印象に残ったのは価値を明確化していくことだ。対価はそれに応じて支払われる。儲からないと嘆くなら、今一度、目の前にある農産物と真摯に向かい合い、その価値は何かと問い直す必要があるのではないだろうか。

収穫された桃
健康補助食品にも取り組む
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