不安定な国際情勢や異常気象が常態化する中、食料安全保障への関心が高まっている。既に自国の食物に対して禁輸処置を講じている所もあり、食の安定確保において後れを取っているところでは、影響が出始めている。我が国はどうだろうか。輸入に頼っている面は大きいが、まだまだ大丈夫だとする向きも多い。ただ“今のところは”、という条件付きだ。果たしてこの先も続くのだろうか。国内農業に持続性はあるのか。
その不安を解消しようと、儲かる農業を推進し、スマート農業の普及が進められているが、就農者の数や生産者の平均年齢を見れば未だ天秤は衰退へと傾いでいる。人が減っても耕地が維持できればという考えもあるが、それでは産業としての活気が失われる。この流れを反転させるためには人を農業に集める必要がある。そのためには何よりも魅力的な仕事にしなければならない。その一つの目安はIターン就農者が笑顔になれるかどうか。人は楽しい所に集まる。“スマイル・アグリカルチャー”の可能性を探る。
Iターン就農で、2年目に部会トップの生産量
地域農業の持続を願って社名を「八百丹」に
京都府の北西部に位置し、山の裾野に田畑が広がる福知山市三和町。今回この地で農業を営む㈱八百丹を訪ね、Iターンで就農した代表の三﨑要さん(50歳)にお話を伺った。「三﨑農園でも良かったのですが、私だけの会社ではなく、地域の会社にしたかった。それで八百丹にしました。ここ丹波地域の八百屋の意味です」。社名には地域農業に対する想いが込められている。
同社はハウス27棟、約62aでみず菜や小松菜、ほうれん草といった葉物野菜を栽培する他、露地では、丹波黒大豆を枝豆用に改良した紫ずきんを99a、ブルーベリーを9a、トマトや冬野菜を25aの規模で作付けしている。「露地野菜は市場のニーズに合わせて臨機応変に取り組んでいます」。労働力は三﨑さん夫妻に従業員が2名、パートアルバイトが2名。販路はJAに加え、給食センターや地元スーパーとの直接取引で、「売上で占める割合は、JAがどんどん減ってきていて、それ以外の直接取引が増えてきています」。中でも地元スーパーの集出荷場が近くにできたことで、「そこに直接コンテナで持って行くことができます。袋詰めの必要がなく、キロ単位で買ってもらえるので安定した取引先になっています」。
またこの地域は京阪神の都市部ともアクセスがよく、そこを販路にした経営を展開することもできる。多様な販路が比較的容易に確保でき、「普及センターが間に入って売り先との繋ぎ役をしてくれます」。専業で農業を営んでいくために有利な生産環境があり、新規就農にも向いている。
農業が儲かること、そして楽しいことを目指していく
三﨑さんがこの地にやってきたのは1999年。農業を志し京都市内から同町に移住し、2年間の農業研修後就農した。当時この辺りでは、Iターンの新規就農者は珍しく、受け入れる方では本当に農家としてやっていけるのかと思われていた。「ここに来たのは私が26歳で妻が22歳の時です。周りの農家はほとんどが60歳以上で、その方たちからは、その内、上手くいかなくなって帰って行くのではないかと思われていました」。それに対して三﨑さんは奮起する。その思いを覆そうと「頑張りました」。
三﨑さんが就農して主として取り組んだのは同町で栽培が盛んなみず菜。地域のみず菜生産者が参加し構成されているみず菜部会には当時20〜30人のメンバーがいたが、「2年目でみず菜部会の中で生産量がトップになりました」。さらに、3〜4年目には、「みず菜一品目で500万の売上を超えました」。特別なことはしなかったが、真摯に取り組んだ成果が現れた。新規就農者に対する評価が一変した。
その後、栽培品目を増やし、ブルーベリーや紫ずきんを取り入れ、みず菜の栽培面積を拡大。品質では土づくりにこだわり有機肥料を施用。また同じハウスでのほうれん草と小松菜の栽培を始め、連作障害を防ぎながら、高い収益力を実現した。そして2018年には人が雇用できる経営環境を目指し、㈱八百丹を設立。翌年には新たな集出荷場も設けるなど、着実に事業を拡大してきた。
そこには、地域農業全体の持続に繋がっていけばという思いもある。農業の担い手を増やすためには「農業が儲かることや楽しいということを示していかなければなりません。そうしなければ、誰も農業を継がないでしょう」。三﨑さんが就農した当時は、地域にそういう雰囲気が無く、農業は儲からないもの、つらいものという考えが主流で農業が魅力のある仕事とはなっていなかった。その方向を改めていくための法人化であり事業展開でもあった。
またそれらの動きと共に、2008年からは就農を希望する研修生の受け入れを開始した。「私に続いて新規就農する仲間がいないと寂しいですからね」。府より指導農業士の認定も受け、新規就農者等の育成に力を入れる。
新規就農者を育成し、地域農業の力に
研修生が新規就農し、部会の主要メンバーに
「就農した頃、町役場に私と同じ様な新規就農者はやって来るのですかと尋ねたところ、今、探しているところですとの回答でした」。それでしばらく待ってみたが、一向に来る気配は無く、周囲は高齢化が進むばかり。このままだと、地域農業の維持が困難な状況になってしまうと、「自らが新規就農希望者の受け入れ農家になろうと決めました」。こうして、2008年、三﨑さんにとって第1期となる研修生を受け入れた。
京都府では就農希望者などに対応する専門の相談員がいて、“農林水産業ジョブカフェ”を設け、農業を始めたい人や田舎暮らしのための移住を考えている人に対し、情報提供を行い、相談に応じている。そこで就農への意欲や準備資金などが一定の水準にあると判断された場合、府内の受け入れ農家とのマッチングが行われる。その後、受け入れるかどうかの面談が行われる。就農に向けて一定の水準にあると判断されていても、「農業はのんびりできそうとか、種を播いたらすぐ収穫できるとか、農業は簡単だと思っている人が結構います」。ミスマッチが起こらないように農業に対する認識を確かめ、希望を聞き、事実を伝えていく。「農業の現状を伝え、私の経験談を話して、時には厳しいことも伝えます。後は本人の農業をやってみたいと思う理由、そして信念を聞きます。それが一番大切なことです」。面談後、中途半端な考えの人は再度三﨑さんの元に訪れることはないという。こうして今まで第6期研修生まで受け入れ、新規就農を果たしている。
受け入れた研修生6名の内、5名がそのまま三和町で就農し、農業に取り組んでいる。第1期研修生から第3期研修生までは、同じ集落で農地を借りることができたが、第4期研修生からは集落内で借りられる農地がなくなり、他の集落で圃場を確保しなければならなくなった。しかし第5期研修生からは、「今までの4人の研修生の評判が良く、いくつかの集落から、農地を使ってもらっても良いと声が掛かるようになりました」。新規就農者の受け入れがスムーズに進むようになっている。
三﨑さんの就農時には数十名いたみず菜部会も、「一人二人といなくなり、元々ここでみず菜を栽培していた人は誰もいなくなりました。今は新規就農者が部会員になって維持しています」。京都の伝統的野菜を生産している部会を、Iターンの新規就農者が支えている。
ここを新規就農の聖地と呼ばれるようにしたい
現在三和町全体での新規就農者は17名となり、三﨑さん以外の農業法人でも研修生の受け入れが行われている。「この三和町という地域だけで農業士が私を含めて5人います。全員が新規就農者です。その5人を中心に新規就農者を受け入れています」。新規就農者が育ち、新規就農者を受け入れるという形になっている。
かつては新規就農者が根付くことさえ不安視されていた地域が、今や新規就農者によって大きく変わろうとしている。さらに、三﨑さんの所で研修した新規就農者も、今後研修生を受け入れていく意向があり、「人を育てていく循環をつくりたいと思っています」。
就農希望者を受け入れる体制と共に、集落の一員としてしっかり迎え入れられることも大きな課題だ。大切なのは、「技術的な指導よりも地域になじむことです」。三﨑さんの元で研修した新規就農者は営農に関して相談することはほとんどないが、地域に関しては相談を持ちかける。「地元農家の方と価値観や慣習が違い、疑問に思うルールも少なからずあります」。多くの人が集まれば少なからずそういうことはあるもので、それはマンションや会社でも同じこと。社会でもグローバル化が進めばますますそういう場面は増えるかもしれない。一方が一方を変えるのでは無く、「妥協点を常に心がけています」。両者が納得できる折り合いを見つけることが肝要になる。
儲けることができ、仕事が楽しく、地域での生活に笑顔があるのなら、人は集まる。「ここを新規就農の聖地と呼ばれるようにしたいですね」。
人が集まる笑顔の中に農業の持続性
人が集まれば楽しさも生まれる、そこに明日も続く農業の鍵がある
八百丹の新たな取り組みとして、夏場のほうれん草づくりをスタートさせている。「夏場のほうれん草は難しいのですが、何とか技術が追いつてきました」。夏場のほうれん草は付加価値が高く収益性が高い。また、稲作農家の今後の状況によっては米づくりも視野に入れている。「機械化されていますが、ただつくるだけでは経営として難しいと思っています。そこで、米粉としてビジネスチャンスがないか研究しています」。時代の状況に応じて、新たな農業の形を探っている。
これからの夢としては、「自分たちで育てた野菜を料理して、提供できる農家レストランをこの場所で開きたいと思っています。そこに人を呼び地域の活性化に繋がればと思っています」。研修生を受け入れることや、農家レストランをつくることは、地域を開いていくということで、「自分一人では何もできません。八百丹だけでも何もできません」。地域に関心を寄せてくれる新しい人たちとの出会いや交流が地域を持続させていく力になる。その中で、人が集まれる場所はコミュニティーの形成に欠かせない。様々な経験を持つ多様な人々の力によって、地域を盛り上げていくのなら、それぞれの想いを共有していくことが必要であり、その場所が大きな意味を持つ。
地域を守るためには一人では難しい。そんな想いが研修生の受け入れと繋がっていった。「実際人が少しずつ増えてきて、ここでの農業が楽しくなってきました。研修生だった新規就農メンバーと年に数回集まって、飲み食いしながらゲーム大会をして遊んでいます。そういったことができるようになりました。みんなで盛り上がっています」。人が集まれば、知恵を出し合い、力を合わせ、大きな力が発揮される。それと共に“楽しさ”も生まれる。それがとても大切なことだと感じた。しっかりとした経営プランを持ち、農業の厳しさを理解して生産者になれたとしても、その時楽しさを感じられないのなら、その選択を後悔するかもしれない。この地で見た笑顔のある農業には明日も続いていく持続性があった。